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| 桜問題提起スレッド |
| 国家神道の呪縛 | |
| 投稿者:リベラルさん | 投稿日時: 2013/04/06(土) 22:38:54 |
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日本人は、大昔から古代から伝わる神道(古神道)
によって、日本人の国民性が形成されて来たと言えるだろう。 それは、宗教の原点とも言える、「アニミズム)=「万物には 全て霊が宿っている」という考え方である。 日本人のこの基本的な考え方の上に、外来の 宗教が取り入れられても、それらをうまく調和させ、共存させて きた。これが日本の神道の基本とも言える、「調和精神」 であると言える。ところが、明治維新政府は、この伝統を 壊したのである。日本古来のアニミズム的思想は 国策に合わないと言う理由で、あるいは、低級な習俗として 蔑ろにされた。 | |
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| 188 リベラルさん | 2013/05/28(火) 12:01:17 |
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<まとめ>
さて、この章では、信教の自由と政教分離を共に規定した憲法の意味すること、即ち両者の関係がコインの表裏のようなものであることを述べてきた。第鵯章の最後に少し触れておいたが、両者を切り離して考える論者も存在する。確かに、信教の自由の侵害は、直接的且つ個人的にその侵害が感じられることを契機にして、訴訟が起こされる。政教分離違反訴訟は、個人の信仰心の痛みもさることながら、違反している事実指摘が契機となることが多い。政教分離違反は、たとえ個人的な侵害が無くても、違反の事実が存在すれば、それだけで結局信教の自由を脅かすことになるのである。信教の自由は、極めて個人的な問題であるのと同時に、極めて社会的な問題なのだ。これは、宗教が現代において極めて個人的なもの(私事)とされるのと同時に、極めて社会的な事象であるとされることと対応している。であるから、信教の自由と政教分離を別次元の事象であると考えたり、「政教」の「政」は、「政治」か「政府」のどちらかとか、「教」は「教団」か「宗教」か 「信教」かなどという議論(20)は、いたずらに議論を混乱させるだけであるといえよう。 | |
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