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| 桜問題提起スレッド |
| 人生の帰趣 | |
| 投稿者:リベラルさん | 投稿日時: 2013/05/17(金) 22:57:17 |
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山崎弁栄上人の言葉より
人生の帰趣 ミオヤは私どもに日々のかて年々の衣物も天地の間にできるやうにして私どもなる子どもに弁当を与へ下さるのは五十年六十年間の人間てふ学校にて精神のうちに聖なる徳をやしなひて私どもをミオヤのよつぎたるきよきみくににのぼることのできるやうにとの目的によりてかてを与へ給ふのでありましやう 人間界は聖なるこころをやしなふ学校でありますぞ 人生の帰趣 人生の帰趣といふ講題の下に自己の所見を講説したいと思ふ。 全体人生観に就ては其所見は必しも同一ではないから人生を或は深遠に高尚に観るあり。 また浅薄に卑劣に思ふて居るもあらう。 | |
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| 4 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:02:10 |
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造化翁の模傚を為す人間の器械にしても器械は物自分で出来て自己が運転して居るものではない。
初に発明者がありて之を構造しまた技手が在つて運転させて居るではないか。 実に此広大なる宇宙の万物の構造者技師に対しては唯全知全能の神として畏敬信服するの外ないではないかと論じて居る。 仏教では造化翁の神は立てざれども其と比例すべき宇宙の本体的存在者に対してはいかに立てられて居る哉といふに、仏教にては学説のみでは宇宙の実在を真如、法性第一義諦等の種々の語を以て表号して居り、宗気箸靴討亘/函毘盧舎那如来等の名を以て表して居る。 | |
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