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| 桜問題提起スレッド |
| 人生の帰趣 | |
| 投稿者:リベラルさん | 投稿日時: 2013/05/17(金) 22:57:17 |
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山崎弁栄上人の言葉より
人生の帰趣 ミオヤは私どもに日々のかて年々の衣物も天地の間にできるやうにして私どもなる子どもに弁当を与へ下さるのは五十年六十年間の人間てふ学校にて精神のうちに聖なる徳をやしなひて私どもをミオヤのよつぎたるきよきみくににのぼることのできるやうにとの目的によりてかてを与へ給ふのでありましやう 人間界は聖なるこころをやしなふ学校でありますぞ 人生の帰趣 人生の帰趣といふ講題の下に自己の所見を講説したいと思ふ。 全体人生観に就ては其所見は必しも同一ではないから人生を或は深遠に高尚に観るあり。 また浅薄に卑劣に思ふて居るもあらう。 | |
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| 1 リベラルさん | 2013/05/17(金) 22:58:22 |
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初に人生帰趣の標準を定めんに
(一)には宇宙の大法に則りて最終の目的帰処に向て進趣す。 (二)には自己の伏能を有らん限り発展して向上的に生活す。 初め宇宙の大法則に則りて終局に到達すとは、吾人は一切の万物と共に宇宙の大法を離れては存在は出来ぬ。 又宇宙の大勢力に依らずして帰着することは不可能である。 又自己の本能に伏蔵する性能を離れて自我を円満に発達すべき物ではなからう。 自己の伏能を遺憾なく発揮して能ふ限り努力すべきが人生の本務であると信ず。 宇宙の大法と自己の伏能の発達とは矛盾する物ではなく自然に合致するものと信ず。 | |
| 2 リベラルさん | 2013/05/17(金) 22:59:27 |
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然れば此二方面から此問題を解決いたすのである。
此を要説ぜんに (初)に、宇宙の大法に則り帰処を定めて之に向て進趣す。 宇宙の大法に則りて帰処に向て進行すとは古来宇宙には一切万物の存在に対して目的ありと云ふ説とまた宇宙万物は本自然律に依て器械的に行はれてゐるので別に目的ありということは認められぬと云ふ論と有る。 | |
| 3 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:00:54 |
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宇宙の深玄なる実に蒼天の無窮なる之を仰げば弥々高遠に之を観ずれば益々玄深にて日月星辰は千万年を通じて其軌を誤たずして運行し地には四時行はれ万物生ず。
其秩序の能く整然たる規則の正しきこと造化の妙用得て測るべからずである。 然るに世の唯物質のみ偏重せる学者達は宇宙に対する観念は矢張唯物質的に見て居る。 曰く宇宙万物は現象の中には精神と物質との二性と成って居るものゝ其実体は物質の原子が自然の法に依て構造せられたる物である。 故に天体の運転も所詮は器械的に行はれてゐるに外ならぬものであると観て居るもある。 或神学者は之を弁じて曰く仮令天体の日月星辰の運転の如きは器械的と見ても其器械を運転せしむる何らかの器械の発明者また運転手がなくてはならぬ。 | |
| 4 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:02:10 |
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造化翁の模傚を為す人間の器械にしても器械は物自分で出来て自己が運転して居るものではない。
初に発明者がありて之を構造しまた技手が在つて運転させて居るではないか。 実に此広大なる宇宙の万物の構造者技師に対しては唯全知全能の神として畏敬信服するの外ないではないかと論じて居る。 仏教では造化翁の神は立てざれども其と比例すべき宇宙の本体的存在者に対してはいかに立てられて居る哉といふに、仏教にては学説のみでは宇宙の実在を真如、法性第一義諦等の種々の語を以て表号して居り、宗気箸靴討亘/函毘盧舎那如来等の名を以て表して居る。 | |
| 5 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:03:24 |
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法身といふは天地万物に細大となく有ゆる法を統ぶる処の霊体であるから法身と号し、大霊中に無尽の性徳を具有している故に如来蔵性と名く。
一切万物は悉く如来蔵性から自然の法則によりて生成して居る。 大法身は万物を産出する父の如くまた万物を養成する方からいへば母のやうにも見られる。 然れば則ち吾人は吾等一切衆生の本源、宇宙の大霊体なる法身如来を号ぶに大ミオヤとして仰いで居る。 一切の衆生は本来は大法身より生産せられたる者なれば終局に於てまた一大法身の本覚に帰着すべきが真理と見ざるを得ぬ。 聖典に一切衆生は本法身より生じてまた法身に還らざるは無しと示されてある。 | |
| 6 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:04:27 |
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仏気盂慇發箸靴討榔宙の大法に随順すると即ち法性の理に随ふと為す。
之に逆違する故に生死に流転して六道に迷没するので若し人法性の理に順ふ時は法性の本源に証入することが得られる。 云ひ換ふれば人は本神より禀けた神性を有して居るから神の聖意に随順し神の真理に契ふときは神の国に入り神と共に在ることが出来るとの事なのである。 更に云換れば人は本真如から出た物で在る。 然るに真如に背きて居るから迷の凡夫である。 若し迷を飜して真如と一致する時は即ち仏であると。 | |
| 7 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:05:36 |
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仏教の宗致は本来宇宙大法の本源なる真如から迷出したる衆生をして本の真如の都に帰趣せしむるのが目的である。
また仏法と云ふ法、其物が本の真如の浄きに還本せしむる契機である。 仏誼罎謀学的な聖道門と宗掬な浄土門との二門あれども所詮は宇宙の大真理の終局に到達させるのが目的である。 それを成仏ともまた往生とも云ふのである。 釈迦尊一生涯の宣伝の所詮は一切の人類をして宇宙の大法に契合すべき随順すべき真理を啓示なされたのである。 | |
| 8 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:06:47 |
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仏法てふ真理は実を尅して論ぜば宇宙の大法である。
大真理である。此真理を離れて宇宙の大法に入り大我を我有として真理に合ふ生存は出来ぬのである。 宇宙の大法は天地万物の設備を以て一切衆生を生成するの理法を以て吾人を生成すると共に、一切衆生を真理の本覚に帰着せしむる大法は本然として宇宙に存在して永遠に変易する ことはない。 然れども其大法真理は一切衆生は無明に迷うて之を覚知することが出来ぬのである。 | |
| 9 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:08:05 |
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そこで宇宙の大法の権化として人仏釈尊が此世に出世なされたのである。
釈尊は一切衆生が永恒の生命常住の平和に帰入する真理を自覚なされたのでまた此の自覚の真理を専ら一切の人類に宣伝なされたのである。 釈尊は自ら宇宙の大真理を悟り而して一切の衆生を覚らしめたると共に覚行円満とて宇宙の大法に契合すべき行為を実践なされたのである。 一切の衆生を永恒の生命真理の生活に帰入せしむべき処の仏法、大法は釈尊自ら構造したものではない。 其大法は実に本然として宇宙に存在するのである。 故に釈尊自ら示されてある | |
| 10 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:09:23 |
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「有仏無仏性相常住」
と此の意は一切の人類を覚らしむる大法は本来宇宙の真理として本然に存在するもので仏が世に出るも其世に出ざるとも真理は常恒に存在するものであると。 然れども釈尊が世に出で之を開示して導引するにあらざれば衆生は此真理の光に遇ふことが出来ずして永恒に無明の生死に流転する外はない。 例へば地球の運転はガリレオ以前から常然として運転してゐたのであるが唯ガリレオに依って人類に紹介せられたのである。 かくの如く仏法てふ一切衆生を本覚の光明に還入せしむる真理は本然常住であるが釈尊に依って一切人類に擬┐気譴燭里任△襦 | |
| 11 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:10:36 |
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故に義勅畭困榔宙大霊の人格現として一切衆生に人生帰趣の真理を気悗鶲戮瓩忘\い暴亳修覆気譴燭里任△襦
法華経に 「諸仏如来は一大事因縁を以ての故に世に出現し給ふ。 謂ゆる衆生をして仏智見を開示して正道に悟入せしめんが為に出現し給ふ」と。 由之観れば宇宙の大法と衆生自己の霊性の開示とは自ら一致するものである。 然れば即ち宇宙の大法の帰趣する処は一切衆生を永遠の本覚に帰着せしむるに在りとの結論なり。 宇宙には大法を以て万物を規定すると共に大勢力ありて一切万物を劣等の状能より進化し向上せしめたる終局は永恒の大生命完全円満なる真善美の極に到達せしむる大霊力の存在を信ず。 | |
| 12 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:11:50 |
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宇宙の大勢力は太陽及地球等の万物の設備を以て一切の生物界を生成し原始生物極小の生物よりして進化せしめて意に終局は永恒の大涅槃に帰趣せしむる性能なり。
宇宙一大能力が万物に対して一方には自然界の太陽及地球を以て一切の生物を生成し其生物が劣等の状態より漸次に進化し人類に至り人類も原始的人類より文明的人類に進みて或程度に至れば精神生活も発達し一面には大霊より一切の人類を精神的に一大光明に摂取して大涅槃の光明生活に入らしむる霊能あり。 之即ち人生の目的である。 | |
| 13 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:13:07 |
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帰趣せしむる勢力は譬へば大法が自然界方面に太陽の光熱化を以て地上の動物また植物を化育する如くに一方には大霊は心霊界の太陽として智慧と慈悲と霊化の三能力を以て衆生の心霊を開発し霊化して光明の生活に入らしむ。
如来が本願力を以て一切の人類を光明中に摂取し斯光に触る者の心を罪悪の状態から聖められて清き人格と為つて光明の生活に入らしむ此宇宙の一大霊力が人類を摂めて永遠の生命にならしむる目的である。 宇宙には大法と大勢力とを以て一切衆生を生じまた一切の衆生を法則と霊とを以て衆生を心霊的に真善美の霊国に帰着せしむる目的がある。 (二)自己の伏能霊性を開発して正当に生活す。 | |
| 14 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:14:13 |
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宇宙は大法と大勢力とに依つて一切衆生を摂取して光明中に生活し行為させる性能あるとは已に弁じた。
是よりは一切衆生即ち人生の帰趣の主体である各個々自らの伏能を可成的に発揮して正当に生活するが即ち目的となす。 人生即ち自我は人間には同じ人類の中にも文明と野蛮とでは甚だ程度が懸隔して居るけれども人生といふ意味に於ては同等である。 又一層広義の人生とは一切の動物と其根底を一にして居る故に通じて衆生といふ。 | |
| 15 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:15:19 |
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一切衆生の伏能に就いて仏気砲楼貔攴粟玄粛仏性とてすべて生物界を通じて仏性即ち仏となり得らるゝ性能を有つて居ると云ふ義に就ては二義あり。
甲は人の性即伏能に仏と成り得らるゝ性能が本来具有して居るのを開発すと云ひ、乙は人の性は本来は罪悪のみで神の性は具有して居らぬ唯信仰に依て善化せらるゝ能は有つて居ると云ふにある。 前に依れば人には本来具有して居る霊性を開発しさへすれば自己が即ち仏であるといひ是は自証主義にて詳しく云はゞ自身本是仏にして煩悩なく自然師なく 共自己に悟り得らるゝ本性は具有して居るからそれを開発すれば一大霊性と自己の霊性とが合一せられ自己を通じて宇宙の無限に接するのである。 | |
| 16 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:16:32 |
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乙の人の本性は罪悪許りであると云方は自己を唯現実の方だけを見て伏蔵の根底を見ずして消極的の悪しき方のみを我となす主義である。
基督気砲討録佑寮を肉と心に別けて人の肉性は全く悪のみで神の救に預るものでなく心は本は罪悪ではあるけれども神の精霊を感ずれば救はるゝ性を有つて居ると云ひ仏気砲睥昭腟舛ありて 一は本来具有して居る仏性を開発する時に自己が即ち仏であると云ふのと 一は我々凡夫は根本的に罪悪なので決定して堕獄する外なきものであれ共如来の本願力に救済せらるゝ故に如来同体の覚に為ることが得らるゝと云ふ。初のを自証主義後のを佗力主義とす。 | |
| 17 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:17:44 |
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此両主義は各一方づゝを主張するけれどもそれぞれ全く分業的に発達したので実には人の性と能とには両面を各自は具有して居る故に完全なる宗気藁昭腟舛鮃膂譴靴燭觸茲砲△蝓
仏気某佑凌汗に仏性と煩悩との両面を有て居ると説て居る。 仏性の方は人々具有するもまだ伏能である。 喩へば鶏の卵子の様なものにて之を孵化して雛とせざれば鶏と為ることは出来ぬ。卵の中に鶏と成り得らるゝ性を有つて居るので外部から容るゝものではない。 霊性は本来各自具有して居る。 | |
| 18 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:19:01 |
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外界から仏性が容れらるゝものではないと。
また仏性と共に煩悩といふ罪悪の性も有つて居る。此の煩悩は大霊の力に依て霊化せらる。 即ち煩悩は菩提である。即ち高等なる道徳心と成るのである。 喩へば渋柿の実も能く乾燥して甘干と成れば渋味が変化して還つて甘味と成るが如くである。 各自が本来仏と成らるゝ伏能を具有してゐると云ふに就いては釈尊が正覚を成じなされた時の話がある。 | |
| 19 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:20:08 |
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そは釈尊が菩提樹下に於いて臘月八日の暁に無明生死の夢が醒めて朗然として正覚の光が顕はれた。
世尊が自ら正覚の眼が醒めてから御自分ながら従前の我を振り顧れば実に無明の睡の中に生死の夢を貪って居たのである。 而して見れば今自分の覚の眼が醒めた処で一切の人類は全く霊が眠つて人間生活の夢を見てゐる。 彼等に対して何か力説して覚めた方の事を示したからとて決して信ずることは出来ぬ。 夫よりは寧ろ覚めた序でに覚た方の涅槃界に安住するに如かじと謂ひなされた。然れども尚一歩進んで考ふれば然でない。 各自仏性を具有して居る之を開きて醒しさへすれば自分と異ることはないと。 | |
| 20 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:21:12 |
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華厳経に仏子一衆生として具するに如来の智慧あらざるものなく但妄想執着を以て証得ぜず。
若し妄想を離るれば一切智自然智無礙智即現前することを得と。 又曰く爾時如来普く法界一切衆生を観じて而も此言を作し給ふ。 奇なる哉奇なる哉此の諸の衆生云何が具するに如来の智慧あり。 迷惑して見ず。 我当に気佞襪棒仔擦魄覆涜兇鬚靴同覆妄想を離れて自身中に如来広大の智慧が仏と異ること無きを得しめんと。 是れ自己の伏能を開発すれば仏と異ることなしと云ふことなり。 | |
| 21 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:22:20 |
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自己の伏能を開発して正当に生活すと云ふ真義此処に在り。
此霊性開発して始めて真実の自我である。 性を遂げ能を発揮したのである。 喩へば杉の種子は至つて微少な物で之を解剖して見れば蛋白質や何かの極めて簡単な元素に過ぎぬ。 然れども之を播いて培養宜しきを得れば四五丈も廻るやうな大さと天を凌ぐやうな大木となる。 吾人の仏性も杉の種子の如くである。 現在の我は何の覚えもないけれども此仏性の伏能が円満に発揮した暁には一切の諸仏と同じく無限の光を以て一切の真理を照し永恒の生命として大覚位にのぼり大涅槃常住となることが出来る性能を有て居る。 | |
| 22 リベラルさん | 2013/05/17(金) 23:23:23 |
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霊性はもと宇宙大法の本体なる法身より分出せられたる法なれど霊性開発は大法に順うて自我を充実せしめ生を充実し真義を顕示してミオヤの全きが如く完きを求め真善微妙の心霊界を顕示するにあり。
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