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| 日本における体罰問題 | |
| 投稿者:リベラルさん | 投稿日時: 2013/02/02(土) 15:26:37 |
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日本の教育現場やオリンピックの選手に対する
体罰の問題が問題になっている。 この問題は、日本社会においては、古くて新しい問題である。 古くは、戦前の日本の軍隊における、内務班の上級兵の下級兵 に対する、暴力の問題がある。戦前の日本の帝国軍隊に おいても、建前上は、体罰は禁止されていたらしい。 しかし、現実は,強い兵隊を養成するという名目と、 自分達の「ウップン晴らし」のために、下級兵や 新入兵に暴力を振るったのである。 この構造は、現在でも受け継がれていて、 強い選手を育てるためには、有効な手段だと思われているようだ。 しかし、このような手段は世界的な眼から見ると、どうも 疑問のようである。企業の経営者でもそうだが、 経営能力の無い経営者に限って、精神主義や根性主義的な手段に よって、社員の教育に「地獄の特訓」とかの手段に走りやすい 傾向がある。智恵の無い経営者やリーダーに限って安易な 根性主義に取り憑かれるようである。 自分達がそういう手段で育てられて来たので、それが 有効な教育手段だと頭から思い込んでしまっている。 | |
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| 1 リベラルさん | 2013/02/02(土) 15:28:12 |
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しかし、果たして本当にそうなのか、欧米では、そういう
暴力的な教育手段を取らなくても、強い選手はいっぱい存在している。 日本社会における「上下関係の問題は、どうしても「主人と家来」 又は、「主人と奴隷」のような関係として現われやすい。 下の者は上位者に対して、「絶対服従」というような関係に 陥りやすい。 客と商売人との関係でもそういう傾向がある。 客は、売り手に対して、金を払うのに対して 売り手は、客に対して、客から対価として受け取る 金の代わりに、その対価に相当する商品を提供する。 これは、よく考えれば゜フィフティ・フィヒフティの 関係である。この関係のように、「対等」という ことがなかなか理解しにくいようのようである。 | |
| 2 リベラルさん | 2013/02/02(土) 15:32:14 |
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次に、スポーツ評論家の「玉木 正之」氏の意見を
ここに掲載しておくことにする。 ●高校バスケ部、女子柔道の体罰問題……日本の体育教育、スポーツ指導は「異常」だったと自覚、反省すべき時が来た! 一人の高校生が死を選んだ。遺書から、原因は暴力と言うほかない体罰が一因だったと断定できる。暴力をふるったのはバスケットボール部顧問の体育教師。暴力は日常化しており、キャプテンだった高校生は「30発も40発」も「しばき回され」たという。 さらに女子柔道のオリンピック強化選手の練習でも暴力とパワー・ハラスメントが、選手たちの告発によって発覚した。 それだけでも十分に異常というほかない出来事だが、さらに異常なのは、暴力をふるった教師や監督・コーチの「異常な行為」を擁護したり、体罰を肯定する声が今もなお少なからず存在することだ。 そもそもスポーツを指導するのに、「罰」など必要ないはず。ましてや「体罰」は、21世紀の現代社会に絶対存在してはならないものである。 | |
| 3 リベラルさん | 2013/02/02(土) 15:33:32 |
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試合での敗北はもちろん罰せられるべきことではない。それは敗因を考え、分析し、次の試合に備えて新たな戦術や練習方法を編み出す成長の機会で、そのように導くのが指導者の努めである。
気を抜いたプレイで全力を出さずに敗れたり、練習でも集中力を欠く生徒がいれば、なぜそんなプレイしかできなかったのか、それを徹底して話し合い、原因を見つけ、その原因を治すのが指導であり、教育のはずだ。 そのとき一発ビンタを食わせれば、生徒はシャキッと気合いが入る(ように見える)かもしれない。 が、そんな一時のカンフル剤が人生という長い期間有効に作用するはずがなく、カンフル剤は繰り返し必要となり、量も増え、そうして育った生徒が指導者に成長すれば、それ以外の有効な指導法を知らない指導者はカンフル剤の使用をさらにエスカレートさせる。 その行き着く先が「死」であることは、既に証明されている。今回の桜宮高校バスケットボール部の事件以外にも、過去に多くの体罰による「心の傷」や「指導死」が存在する。にもかかわらず、適度の体罰は有効、愛情ある体罰は許される、などという声が止まないのは、なんと貧困な想像力か! | |
| 4 リベラルさん | 2013/02/02(土) 15:34:52 |
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私は過去に(二十年以上前の出来事だが)何度も体罰の現場を見た。ノックで捕球をミスした選手に向かって、至近距離からグラブを脱がせて、「体で覚えろ!」と怒鳴りながら全力で硬球を何発も投げつけ、生徒の身体を痣だらけにする監督がいた。
「俺の手も痛いんだ!」と叫びながら殴り続ける監督に、「ありがとうございます!」と、鼻や唇に血を滲ませながら涙声で答える選手の姿も目撃した。 今は、それらが「指導死の温床」と気づけなかった想像力のなさと、告発する勇気を持てなかったかつての自分の情けなさを恥じ入るほかない。 が、一緒に見ていた記者の所属するメディアが全国大会の主催社で、暴力を非難するどころか体罰をふるう彼らを「名監督」と讃えていたことも、明らかに「異常」と言うほかない出来事だった。 | |
| 5 リベラルさん | 2013/02/02(土) 15:36:55 |
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昔は体罰など当たり前、としたり顔で経験談を口にする元スポーツマンがいる。体罰をすべてなくせば、スポーツは間違いなく弱くなる、とテレビで断言した元スポーツマンもいる。
異常な世界に一度でも身を浸せば、正常な世界の存在が見えなくなるのだろうが、これほど無知と想像力の欠如をさらけ出した恥ずべき言辞はない。 そもそもスポーツとは「暴力的な勝負をルール化し、ゲーム化した遊び」である。したがって、暴力によって権力を奪い取る権力者が支配する社会ではなく、話し合いによって為政者を選ぶ民主主義の発達した古代ギリシャや近代イギリスで真っ先に誕生し、発展した。 スポーツとは、根源的に一切の暴力を否定し、「殺すな!」という平和のメッセージを含む人類が生んだ偉大な文化と言えるのだ。そのスポーツを教育に取り入れたはずの体育で、体罰という名の暴力が横行するのは、「スポーツとは何か」という本質を理解していない、教育者にとってあるまじき行為といえる。 | |
| 6 リベラルさん | 2013/02/02(土) 15:38:16 |
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とりわけオリンピックの女子柔道選手への「暴力」は、柔術各派(武道)を統合して、ルールを整理し、柔道(スポーツ)を創設した嘉納治五郎の「稽古の要諦」……「型・乱取り・講義・問答」から「講義」と「問答」をまったく無視した結果であり、柔道指導者の無知と驕りの結果というほかない。
バレーボールの指導者は、選手に「バレー」という言葉の意味をまったく教えず、選手はその意味を知らないまま、身体を使った技術だけで試合に勝つよう「努力」する(強要される?)のが、日本の「体育教育」であり、「スポーツ指導」である(「バレー」とはVolleyが日本語的に訛った発音で、サッカーの「ボレー・シュート」やテニスの「ボレー・ショット」の「ボレー」と同じ、ボールを地面にバウンドさせないで、打ち返すこと、または、蹴ることである)。 | |
| 7 リベラルさん | 2013/02/02(土) 15:39:27 |
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教える側も、教わる側も、スポーツに関する基礎知識をまったく身に付けることなく、ただルール通りにゲームを行って、勝利ばかりを求め、おまけに体罰というカンフル剤(じつは、まったく理由のない理不尽な暴力)を、ほんの少しでも認めよと言うのは、思考を停止せよ、言葉を使うな、人間としての人格を捨てて、動物のようにがむしゃらに動け、というのと同義である。
それはもはや、教育でもなければ体育なく、もちろんスポーツでもない。マハトマ・ガンジーは、キリスト教に伝わる「七つの大罪」(傲慢、貪欲、淫乱、嫉妬……等)の現代版「新・七つの大罪」として、「原則なき政治」「道徳なき商業」「労働なき富」「人間性なき科学」「良心なき快楽」「犠牲なき宗教」と並んで、「人格なき教育」をあげていた。 | |
| 8 リベラルさん | 2013/02/02(土) 15:40:32 |
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日本の体育界・スポーツ界に根深く広まっていた「体罰有効論」は、スポーツマン(ウーマン)から人格を奪い、人間でなくすことなのだ。人間でなくなって(動物になって)勝てる試合など、まさにレベルの低い試合でしかない。
日本の柔道は、かつては柔道を生み出した国のお家芸としてのアドバンテージによって国際舞台でもある程度は勝つことはできた。が、「世界」が日本のレベルに追いついてきた結果、日本の柔道界(スポーツ界)の非人間的な「暴力体質」、嘉納治五郎の教えを忘れた非科学的な稽古では、人間的で合理的科学的な「世界の柔道」には勝てなくなってきた。 勝てない理由を「世界のJUDOが本当の(日本的な)柔道でなくなってきたから……」などと馬鹿な言い訳を口にする柔道家もいるようだが、どんな「格闘技」に挑戦されても「柔」よく「剛」を制すのが「本当の柔道」ではないのか? それはともかく…… | |
| 9 リベラルさん | 2013/02/02(土) 15:41:43 |
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今こそ旧来の日本の体育教育、スポーツ指導の「異常性」に気付き、真の体育教育を新たに構築し、真のスポーツ理解を推し進める大きなチャンスである。
柔道界の不祥事が、IOC(国際オリンピック委員会)やIJF(国際柔道連盟)に知れて、批判の声まで出ているのは、2020年の東京五輪招致にマイナスとの声もあるが、それ以上に大事なのは、日本の体育界、スポーツ界から暴力を一掃することである。 東京五輪の招致活動を、IOCのスポーツにおける反暴力運動と連動させ、真摯な取り組みで世界の共感を得たうえで、東京五輪招致を成功させることこそ、いま我々が目指すべきことではないだろうか。 | |
| 10 罵愚さん | 2013/02/02(土) 17:12:18 |
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日本の武道はスポーツとはちがうと思うな。なにがどう違うのかと、問い詰められると答えに窮するのだが、体験を通してちがうと思う。加納治五郎がスポーツの導入にはたした功績はおおきいが、柔道を国際化したのはまちがいだったと思う。柔道のスポーツ化はまちがっていた。
オリンピックにかぎらない、世界レベルのスポーツはそれを支配するグループがあって、かれらは自分に都合がいいルールで支配する。自分たちの負けが込んでくると、ルールを変えてくる。柔道の場合、重量制と寝技の関係を考えてみるがいい。重量制がとりいれられて寝技が消えた。帯の色が増えて、青い道着なんての着せられている。アメリカンフットボールのようにまったく新しいスポーツもつくる。柔道は講道館柔道とはまったく別なものにされてしまったと思う。 | |
| 11 罵愚さん | 2013/02/02(土) 17:38:09 |
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女子柔道も護身術のあいだはよかったが、スポーツ化したのはまちがいだった。柔道に女子だなんて、それを男性が指導するなんて、まちがいがおきるほうが自然だ。まちがいを起こさなければオカマだろう。
おなじ武道でも、そこのところは剣道とはちがう。なぎなたや小太刀などは昔からあったが、女子の剣道は最近、普及したものだ。手にマメができたり、足の裏が厚くなったりしないかと心配したがそれもなく、思春期の精神的鍛練にもいい。戦後の導入が遅れたのは女性用の部室や更衣室が用意されていなかった施設の問題だったかもしれない。 女子剣道はよかったが、国際化には慎重な意見も多い。武道の国際化は問題が多いと思う。たとえばアメリカ人などは“みところ攻め”なんていう、日本刀の構造を考えれば思いつかない奇手を考案する。いまのところ、日本人が主導しているが、かれらは規則を変更しようとする。外国人剣士が運営や審判に発言権をもちはじめるのは心配だ。柔道の失敗に学ぶべきだと思う。 | |
| 12 リベラルさん | 2013/02/02(土) 19:44:17 |
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スポーツと武道は確かに違うと思う。しかし、現在問題になっているのは、
武道としての柔道とかではなく、スポーツとしての柔道である。 どんなジャンルの世界でもそうだが、指導者は指導される側の 人間に対して、成績や能力の向上の遅い生徒や選手に対して 憎々しげな感情をぶつけるのはおかしい。 指導される側の人間に対して、リーダーが自分の感情を コントロール出来ずにぶつけるようなことでは、リーダーとしての 資質が問われても仕方があるまい。そんじょそこらの逆切れ しやすい若造と変わりはない。小生も小学校や中学で 宿題をして来なかったという理由でビンタを張られた事も あった。しかし、一人に対してのビンタは、左右ビンタで 2回程度であった。 一人の生徒に対して、30発40発もなぐるのは、常軌を逸している。 はっきり言うとキチガイ沙汰であり、刑法の暴行罪である。 | |
| 13 リベラルさん | 2013/02/02(土) 19:53:59 |
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スポーツの世界だけが、一般社会と違う価値観で
運営されるのは間違いだと思う。 よく持ち出される理屈が「特殊権力関係」論であるが、 こういう理屈がまかり通ると、その世界の中だけが 治外法権の世界となり、特権化するのである。 いわゆる「聖域化」であるる そして、周りの人間は誰もそれに対して 注意や意見を言えなくなるのである。 桜ノ宮高校の例がまさしくそれである。 校長や教育委員会でさえも口を挟めなく なるのだ。最も現在の教育委員会は お飾りで、実質的には殆ど役に立っていない。 この際に、教育委員会制度も見直す事が必要だろう。 | |
| 14 リベラルさん | 2013/02/02(土) 20:04:35 |
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武道の場合も同じで、真の武道家ならば体罰のような
物理的な力を行使しなくても、弟子を指導出来るであろう。 小生は、武道家としてよく合気道の開祖の「植芝翁」 を尊敬しているが、翁は天才的な武道家であったが、 弟子達の指導に対して,厳しさはあったが、殴ったとか 蹴ったとかいう話は聞いていない。 翁は、宗教的な境地においても神人とも言われるような 高さにまで到達したと聞いている。然るが故に 人間の本質を見抜いており、物理的な力を 使用せずともその弟子の一人一人に対して どのような指導が必要かを見抜く力があった。 そこまで望むのは無理かも知れないが、そういう真の 武道家等の指導方法についての勉強も リーダーには必要であろう。 | |
| 15 リベラルさん | 2013/02/02(土) 20:11:54 |
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この際に、悪しき日本の伝統とも言える
「しごき」とか、「しばく」とか、旧軍隊以来の 風習を一掃するきっかけになることを期待したいものである。 世の中には、元巨人軍の「桑田真澄」選手のような 意見もあるのだから、それを参考にして リーダーとはいかにあるべきかという ことを見直すきっかけにすべきものである。 | |
| 16 リベラルさん | 2013/02/02(土) 20:36:25 |
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●桑田真澄氏「体罰は一番卑怯な行為」橋下市長の要望で教職員に講演
桑田氏は野球界などに根強く残る暴力指導が、戦前の軍隊教育、兵隊育成を引きずっていると指摘。自身が長年の野球生活で暴力を受けた経験を明かし「体罰は見るのもいやだ。僕をマウンドで助けてくれたことは一度もなかった」と語った。 大阪市立桜宮高校教員62人を含む大阪府市の教職員ら513人が出席した講演で、桑田氏は暴力 根絶を1時間15分にわたって体罰撲滅を訴えかけた。 非公開で行われた講演後に会見した桑田氏は「僕も長い野球生活で体罰を受けた。その経験を踏まえ、本音の話をさせていただいた」と語った。暴力指導に反対する理由として、「体罰を受けるのも、やるのも、見るのも嫌だった」「絶対服従、仕返しされない関係の中で行われる一番卑きょうな行為」などと説明した。 非公開で行われた講演後に会見した桑田氏は「僕も長い野球生活で体罰を受けた。その経験を踏まえ、本音の話をさせていただいた」と語った。暴力指導に反対する理由として、「体罰を受けるのも、やるのも、見るのも嫌だった」「絶対服従、仕返しされない関係の中で行われる一番卑きょうな行為」などと説明した。 | |
| 17 リベラルさん | 2013/02/02(土) 20:37:33 |
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講演では、こうした慣習が、戦前の野球界が軍隊に向けて精神鍛錬などの場だと存在意義をアピールしたことに起因すると指摘。桑田氏は「やられた者が(後進に)やり返している。スポーツをやる資格がない」と批判した。
自身が米大リーガー時代に、米国の小中高や大学の現場を見て歩いたことを明かし、「怒鳴る、殴るは一切なかった。のびやかな環境からメジャーリーガーが生まれていた。体罰がなくても素晴らしい選手が育つ」と振り返った。 | |
| 18 リベラルさん | 2013/02/02(土) 21:34:56 |
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●物質科学は著しく発達したが、精神文明を忘却し、霊的人間性の高揚をなおざりにして、技術だけで道徳を失った社会に未来はない。(植芝盛平翁)
●一対一。大先生(植芝盛平翁)がよく言われたように、戦場に出たら何千という敵がいる。しかし自分が戦うのは目の前にいるひとりなんだな。戦場も平和な日常生活もみな同じです。 ●武道とは大民主主義である。すべからく万民の幸福や生きがいを与えるところの道でなければならない。(植芝盛平翁) | |
| 19 罵愚さん | 2013/02/03(日) 05:55:45 |
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リベラルさんは「スポーツと武道は確かに違うと思う」といいつつ、教育と学習とスポーツと武道をみごとに混濁させながら、指導のなかの暴力を話題にしている。なにかを指導する指導法のなかで暴力が意味をなさないのは、あなたのご指摘のとおりなんだが、具体的な事例にはいるとその原則論では割り切れないし、個人的見解で別れてしまう事例が出てくる。
ある基本動作ができないとき、居残ってトレーニングをさせるのはケースによっては指導だし、いじめにもなる。杓子定規にきめつけることもできない。 | |
| 20 罵愚さん | 2013/02/06(水) 10:06:57 |
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わたしの知っている上品で礼儀正しく、剣道も強い、申し分ない人格者のフランス人剣士は武芸者であって、武道家ではないような印象だった。外国人が武道を身につけても武芸にはなるが武道にはならない。フランス人にかぎらない、ヴェトナムやアメリカからの留学生と交流した経験があるが、この印象は変わらなかった。
武道を国際化してもスポーツにはなるが、武道はならない。武道とはもともと武士道を涵養する、武士のたしなみのひとつなんだが、この武士とか武士道が日本独特な文化的遺産だから、国際化が無理なんだろうと思う。せいぜい武芸とかスポーツの域までが限界なんだろう。 | |
| 21 罵愚さん | 2013/02/09(土) 05:21:13 |
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よく西洋には騎士道があり、支那には任侠道があり、日本には武士道があると、三者を同一視した議論がなされる。騎士のたしなみのフェンシングや射撃がオリンピック種目になったように、柔道もオリンピックにむかえ入れられたと思う。
つまり、誤解のはじまりはここにあって、西洋の騎士道と日本の武士道の本質的な相違点に注意や関心を払った関係者は一人もいなかった。それは競技としてのフェンシングや柔道のちがいではなく、それをささえる人びとの価値観や社会構造のちがいに対する考察だと思う。ヨーロッパの騎士団はローマの植民地支配にともなう傭兵集団として誕生し、もっとさかのぼればローマの剣闘士は見世物小屋の奴隷だった。サーカスのブランコ乗りと同等だな。 | |
| 22 罵愚さん | 2013/02/09(土) 05:25:33 |
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騎士の忠誠の対象も、あるときは傭兵隊長であり、時代が下がるとその傭兵隊長が王様や貴族になって忠誠の対象になる。ヨーロッパの王室とは傭兵隊長や反乱の首謀者の末裔で、騎士が信仰するキリスト教との血縁関係がないのはもちろん、ときには反抗の対象になったりもする。ノーベル文学賞をもらった大江健三郎が日本の文化勲章を拒否した事件があったが、ノーベル賞を授与するスェーデン王室はナポレオンの幕僚としてスェーデンを支配した…もとは山賊だったという。日本でいえば蜂須賀小六だな。日本の皇室には反抗して蜂須賀小六に心酔した戦後左翼がノーベル賞に浮かれたとなれば、日本人には理解しやすい。
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| 23 罵愚さん | 2013/02/09(土) 05:28:20 |
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それと比較してもらいたのだが、日本の武士だ。神話の時代では日本武尊は皇子だった。東国統一は坂上田村麻呂などの征夷大将軍によって継続されて、その職名が武士の棟梁の官職となりいくつかの幕府が権力を担って歴史の中心となってきた。戦後の日教組教育のなかでは武士の発祥を応仁の乱にはじまる混乱のなかの土寇としておとしめる一方で、革命児としてもてはやしている。いわゆる革命思想にうらうちされた歴史教育では、武士とは血筋のあやしげな革命児のイメージが強調されているのだが、権力をにぎったかれらがおしなべて革命のターゲットとしての皇室に忠勤したり、血縁を結ぶ姿を説明できない。武士を革命集団にするとして歴史は矛盾して説明できないのだ。
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| 24 罵愚さん | 2013/02/09(土) 05:33:00 |
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したがっていまでは歴史的事実をすなおにたどって、皇族や上流貴族を統領とあおぐ集団としての武士の誕生が定説であり、地方に散った皇族や貴族が中核をなして武士集団を形成していったと説明されている。したがって、かれらの権力の起源はつねに皇室であり、存在意義も皇室の安全保障であり、忠節の対象もたどっていけば最終が皇室にたどりつく。いかに主家に忠勤を励んでも、皇室への忠節と矛盾が生じたときにはためらいなく皇室を選んでいる。
ここのところが日本の武士と西欧の騎士のまったくの相違点だ。武士道精神の中核には皇室への忠誠がある。試合に勝ったり金メダルを獲得するのは目標にならない。外国人武道家が生まれるはずのない理由だ。 | |
| 25 リベラルさん | 2013/02/09(土) 15:18:21 |
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過去の歴史的な難しいことは知りませんが、
日本における武道は、小生の認識によれば、 真の武道の精神の真髄と宗教的な究極的な 真髄というか、真実は同じものであると 感じています。 合気道の開祖こそが武道の真実の境地に到達した 真の武道家であると思います。 その心は、「万有愛護」の精神であり、 真の「武」とは、「矛を止める」ことであると 開祖はいわれています。 | |
| 26 リベラルさん | 2013/02/09(土) 15:27:48 |
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開祖の到達した武道の境地は、
宇宙の万物は、生命の大元である、 大生命から来ている生命によって 生かされているのであり、 その基本精神は、「万物愛護・生成化育」であると いわれます。 この精神が宇宙の万物全てに浸透 している根本的な法則であるといいます。 大生命を神・仏と言い換えても同じ事です。 武道はこれを「武」の面から説いたものであります。 但し、従来から言われている、「武術」というか、 人と戦って倒すという意味の武道とは その意味が違うと言う事に注意が必要です。 スポーツは、本当は、こういう武道の精神を 基本とした考え方に基づいて、それに娯楽的な 面をプラスしたものになればよいと思います。 | |
| 27 リベラルさん | 2013/02/09(土) 15:40:31 |
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スポーツでも教育でも芸術でも
他のジャンルでも同じ事だが、 人間は一人一人個人としての個性があり、 人格があります。従って、師匠と弟子の関係においても、 上に立つ者が、愛情を持って指導する事が 必要であります。 弟子や部下を暴力によってや、自分の感情に逆らう 考え方や意見を持っているからといって、 自分の感情にまかせて、自分より劣位の立場にある 弟子や選手に対して、暴力・暴言をぶつけて 良い訳がありません。 自分の感情を制御出来ない人間は、人の上に立つ 資格はありません。特に教育者の立場にある 人間はそのことが言えるでしょう。 そんな事をやっていたら、最悪の場合殺人事件等に 発展しかねません。 最近の親子間における殺人事件等が 問題になっていますが、もちろん殺人を 犯した人間が悪いのは当たり前ですが、 殺された方にもそれだけの原因となる ものがある場合もあります。 | |
| 28 リベラルさん | 2013/02/09(土) 15:49:53 |
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小生は、日本的な主従関係に対しては、
昔から疑問を持っています。 それは、前にも述べたように、ここに二人の人間が 居るとする場合に、必ずと言って良い程、 どちらかが上位になり、片方が下位の立場に成りやすいのです。 「対等」という人間関係を築くのが苦手な民族性を 持っているようです。初対面の場合、特に相手が自分より 上位か下位かが直ぐに判断出来る時は、安心するのですが、 どちらか解らない場合は不安になるのです。 それは、相手がどういう立場なのか判断出来ない場合は、 どういう態度を取ったら良いのか判断に迷うからです。 日本語は、対する相手によって言葉使いに大きな差が あって、もし、相手が自分より上位者の場合、 ぞんざいな言葉を使う訳に行かないからです。 | |
| 29 リベラルさん | 2013/02/09(土) 16:01:09 |
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従って、初対面に相手に会ったら
必ずと言って良い程、肩書きの 入った名刺を交換します。 いずれにしても人間の上下関係は、 上位者が下位者を指導する場合でも、 下位者が上位者に対して、自分の人格まで 「没入」させる必要はありません。 極端に言えば、片方が「主人」であり、片方が 自分の人格まで捧げるというような「奴隷」的な 主従か関係は好ましくありません。 上位者が下位者に対して、「生殺与奪」の権限を 行使出来るような馬鹿げた上下関係はあっては なりません。こんなのは、野蛮人の上下関係です。 日本における封建的な主従関係は なくさねばなりません。 スポーツの世界で言えば、選手の一人一人が自分の持ち味や工夫を 生かした訓練方法が出来るような指導者が必要です。 | |
| 30 SANAさん | 2013/02/09(土) 22:38:11 |
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Re:28
<「対等」という人間関係を築くのが苦手な民族性を持っているようです。初対面の場合、特に相手が自分より上位か下位かが直ぐに判断出来る時は、安心するのですが、 どちらか解らない場合は不安になるのです。> これには異論があります。私も昔はそのように思っていたのですが、仕事を長年しているうちに考えが変わってきました。場合によりけりでして、ベストなものというのはなかなかないものです。米国社会など、この点フェアだと日本人は思いがちだと思うのですが、同じ会社組織の中などでの主導権争の狡猾さなど日本の比ではないです。上の人への媚びの売り方も。日本でもありますがこちらのほうが遥かに酷いです。日本こそ一番公平な社会だったりするんですよね。昔からそうだったとは思いませんが、日本人てのはどこまでも真面目で、何かが問題だと気がつくと本当にそれを極限まで追及する特性があるようです。 | |
| 31 罵愚さん | 2013/02/10(日) 04:22:41 |
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スレッドの表題「日本における体罰問題」に話題を限定すれば、これはなにも武道にかぎらないでスポーツ全体にあるし、スポーツにかぎらない教室の数学や国語や音楽の授業のなかにもあるだろうし、学校にかぎらない職場にもありうる。なにかを教えたり、指導するひとと教えられたり指導をうける関係のなかではつねに起きる可能性はある。
外国と比較して、とりわけ日本に多いのか、武道教室で多いのかは客観的なデータはないのではなかろうか。過去には教育や指導の一環として容認されていたのが最近の社会的関心の結果、これは教育やしつけの名を借りた暴力で、傷害事件だという認識がたかまった。ここまではわたしは肯定的にこの問題をとらえています。どんな場面であろうと暴力は否定されるべきだろうと思い、禁止されるべきだろう。 話題にしたいのは、これを“武道”と呼ぶ日本民族の伝統文化に関連づけて、武道に特有なマイナーなイメージに転換しての議論や報道です。相撲部屋で起きた新弟子暴行事件や、今回の女子柔道で起きたイジメは、本質的には学校や職場でたくさん起きているイジメのなかの一例であって、武道に特有なものではありませんよといいたいのです。 | |
| 32 SANAさん | 2013/02/10(日) 05:13:47 |
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(単純な体罰だけでなく理不尽な罰則も含めて)武道教室で多いかどうかというと・・・別にそのようなことはなく、多いのは学生の体育会などでしょう。もちろん自分の経験上そう思うだけであってデータがあるわけではありませんが、私も、武道特有なものではないのは確かだと思います。
ところで、体罰は非合理的だし暴力問題の連鎖を生み出す一因になるのは間違いないと思っています。これも、若い頃は、体罰くらいなんだと私自身思ってましたが、そもそも体罰も含めて暴力を使うというアイディアそのものを生まない社会ってあるんだなぁ、と、思うようになりました。先生の体罰を解禁するよりは、先生や指導者を自分に何かを教える存在として敬う、そして先生にはその尊敬に値する人物になってもらう、そして社会はそんな先生に報いる、という形が理想です。肉体的苦痛を伴う行為により他人に何かを理解させようとすること自体、極力避けるべきことでしょう。 | |
| 33 罵愚さん | 2013/02/10(日) 08:38:11 |
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いやいや『多いのは学生の体育会などでしょう』というきめつけにわたしは疑問を呈しているのです。かつての全学連や全共闘の内ゲバに象徴される、左翼運動のほうがよっぽど暴力体質が顕著なのに、そこには目をつむってスポーツなかんずく武道をヤリダマにあげるジャーナリズム、それに踊らされるネットの体質のほうが…
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| 34 SANAさん | 2013/02/10(日) 09:43:56 |
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Re:33
なるほど。マスコミなどのあり方についてだったらそれは確かにそうかも。このトピックに関してだけでなく、ありとあらゆることに関して。それは、多様性が足りないのが問題なのではないでしょうか。皆が横並びで同じ論調になりがちですから。昔からひどいもんでしたし。(ところで、でしょうってのは、一応この部分は決め付けてないからそう書いたんです。) しかしネットは、踊らされがちなんでしょうか?それがよくわからない。たとえば私のここ10年間くらいの主なる情報源はマスメディアよりネットなんですが、先の選挙前からのメディアによる安倍たたきが度々ネット上でも話題になっていましたが、私にはそれがよくわからなかったんですよね。ネット上だけだと、むしろ逆に見えましたから。 | |
| 35 リベラルさん | 2013/02/10(日) 22:16:18 |
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指導者の指導方法に対して、いろいろと
意見や考え方の違いはあると思います。 必要な事は、人間は、自分でやる気を起こさせる事が 指導の根底にあるかどうか、本人のやる気をどうして 出させるかと言う事に尽きると思います。 勉強にしてもスポーツにしても、幾ら教師が叱咤激励しても、本人が やる気がなければどうしょうもありません。 人間は機械ではありませんから、感情があり、人格があります。 機械ならば、燃料や電源を与えておけばそれで故障しない限り 動き続けます。人間は、自分の感情的な満足感や達成感が 大きくやる気に影響します。 指導される側の生命が生き生きとするような 指導方法が必要なのです。指導される側の 生命や精神が萎縮するような指導のやり方は 間違いなのです。そういう意味で相手に対する物理的な 体罰や精神的な暴言はよくよく考えなければなりません。 | |
| 36 リベラルさん | 2013/02/10(日) 22:26:01 |
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そういうことから考えれば、現在の教育界や
スポーツ界の指導方法は、どうも選手や 生徒の生命を生き生きとさせるような指導方法とは 言えないと思います。 むしろ、逆に本人のやる気を失わせたり 生命を萎縮させるような「恐怖心」によって 監督やコーチの考え方を押し付けようとしているように 見えます。 こういうやり方は、指導方法としては、もっとも レベルの低い方法であると言えます。 それは、丁度、絶対権力者が国民に恐怖心をあたえることによって、 支配する「恐怖政治」と同じ構造だと言えます。 これは、右翼、左翼とかの思想には関係ありません。 右翼政権、左翼政権であろうとなかろうと 「絶対権力者」のよく使う手であります。 | |
| 37 罵愚さん | 2013/02/11(月) 05:11:49 |
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やっぱりお二人のご意見には違和感を感じる。「日本における体罰問題」の命題が示すように、教室や体育館での教育・指導に話題を借りながら“体育会系”やら“武道”への無理解を内包しているような印象をうけるのです。
そして、それはネットやメディアの影響を多分にうけてできあがっている。しかし、この話題の根幹はもっと別のところにあるような…というか、頭でっかちでスポーツ嫌いが先導している議論のような気がするのです。 | |
| 38 罵愚さん | 2013/02/11(月) 05:40:30 |
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「健全なる精神は健全なる身体に宿る」はウソで、じつは原文では「健全なる精神は健全なる身体に宿ることが望ましい」と刻まれていると聞いたことがある。健全なる身体をつくれば、そこにはつねに健全なる精神が宿るとはかぎらない。あたりまえのはなしですが、健全な身体に宿った不健全な精神をどうしようか? の話題かなぁ?
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| 39 SANAさん | 2013/02/11(月) 06:12:44 |
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できれば、具体的にどの部分が無理解だと思ったか、そしてなぜそう思ったか、知りたいのですけれども。
(なぜなら、事実として、この件に関してはそんなにネットは見て無いんすよね、ほとんどこの掲示板だけしか・・・。住んでる場所が外国なのでメディアが何を言っているのかも、世間のうわさも、ほとんど耳に入らない。) | |
| 40 罵愚さん | 2013/02/12(火) 04:56:41 |
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0〜9のリベラルさんの話題提供の部分から、この話題に対する無理解を感じていました…というか、指導法、教育、スポーツ、武道の話題を混濁させながら結論のところに来ると、武道をヤリダマにあげるジャーナリズム、それに踊らされるネットの体質をお二人はアト追いしている。
わたしはオリンピック柔道を“武道”と呼ぶのには疑問を感じているんです。あれは武道モドキのスポーツなのに、うまくジャーナリズムに“からめとられて”…そのかくされたターゲットが武道なんだろう。戦後左翼のワンパターンにのせられているんだろうの印象です。 | |
| 41 SANAさん | 2013/02/12(火) 09:59:28 |
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わかりました。では、参考になると思うので真実を言いますと、
わたしは武道をやりだまにあげるジャーナリズムもそれにおどらされてるネットもぜんぜん見ておりませんで、また、体育会と言い出した理由とここで武道の話しが出ているのを見てそれにも触れた理由は、自分が大昔ですが大学生の頃体育会の中にいたからであって、また武道もやっていたし一時的に(たいしたものではありませんが)教える立場だったこともあったため、ここで武道を話題にしているのに反応したわけです。情報ソースが100%自分自身の経験しか、物理的に存在しません。女子柔道で体罰が問題になったというニュースの項目だけはどっかで見ましたけれども。 何かを後追いしていると思われた書き込みが、実はその後追いしている対象は存在せず完全に自分の体験のみで書いている投稿でした、と、いうことで。こういうの、面白いと思いませんか。 ところで、武道が、今、ジャーナリズムでヤリダマにされてるんでしょうか?実は、そこらへんの事情も知らない。 | |
| 42 罵愚さん | 2013/02/13(水) 04:47:44 |
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「今、ジャーナリズムでヤリダマにされてる」というより、GHQの禁止令からずーっと日教組をはじめとする戦後左翼のターゲットにされている。そのしっぽを引きずった議論が横行していると思います。
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| 43 罵愚さん | 2013/02/15(金) 05:49:33 |
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敗戦後GHQによって武道は廃止されました。中学校で再開されたのは60年安保のあとぐらいからだったと思います。若い人にも想像できるでしょうが、陰に陽に日教組をはじめとする戦後左翼のターゲットにされている。そのしっぽを引きずった議論が横行していると思います。
このスレッドの主題は「日本における体罰問題」であって「武道における体罰問題」ではありませんが、こういうマイナーな議論ではいつもターゲットにされてしまう。被害妄想かなぁ(笑)? | |
| 44 罵愚さん | 2013/02/16(土) 06:10:36 |
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明治維新、文明開化の結果のスポーツ振興はよかったと思っている。オリンピックもよかった。しかし、武道とスポーツを混同させたのがまちがいのはじまりだった。
たまたまオリンピック運動の中心人物が加納治五郎だったのも不幸だった。軍事教練とスポーツの混同もあったかもしれない。柔道の国際化がそれに拍車をかけた。柔道ではなく、相撲だったらよかったのかもしれない。なによりも戦後教育がよいところはスポーツの成果にし、悪いところは武道の残滓に直結させてしまった。被害妄想かもしれないが、スポーツと武道をまったく別なものと考えることはしてこなかった。 いま中学校で教科に武道をとりいれようとしている。あそこでも体育との境界を真剣に考えているとは、思えない。 | |
| 45 リベラルさん | 2013/02/27(水) 22:59:57 |
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●根性論
根性ある?(ネットより拾い) こんな言葉を未だに若者が使っていること自体に驚いてしまった。 金曜の夜といえば「しゃべり場」でありますね(笑)。最近、うちの娘が割と決まった時間で寝るようになってきたので、ほんの少しだけど夜は自由な時間がとれるようになってきた。で、しょうこりもなくまた見ているんだけど(笑)。 今回は「省エネ人生はダメなんかい?」といったことで、最低限の努力で最低限の結果が得られればいいじゃん、とまったりした考え方の子が提案者だったんだけど。ま、提案そのものの善し悪しはどーでもいい。自分の人生の話なんだから自分で考えりゃいい、以上――でおしまいな話だから。驚いたのは、「いや、もっと精一杯努力して生きるべきだ」という考え方の若者の口から「根性」という言葉がばしばし出て来たこと。 | |
| 46 リベラルさん | 2013/02/27(水) 23:01:28 |
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根性。これは、僕のもっとも嫌いな日本語だ。こんなくだらない言葉、考え方、観念は一刻も早く滅びてこの世からなくなってしまえばいい、と強く願うのだけど、今の若い世代の中にさえ、この「根性教の信者」が多数いることを知って驚愕してしまったのだった。
なんなんだ、「根性」ってのは。「苦しさに耐えて成し遂げようとする強い精神力(大辞林)」なんだそうだけど、これは間違いだ。これなら単に「忍耐強さ」といえばいいだけであって、根性とはニュアンスが異なる。なにしろ根性は、曲がったり、入れ替えたり、たるんだり、鍛えたり、時には腐ったりもするし、よい根性だの悪い根性だのがあったりもするのだ(ビフィズス菌かお前は)。ただの精神力にそんなややこしい性格などあるわけがない。 | |
| 47 リベラルさん | 2013/02/27(水) 23:02:46 |
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「いい忍耐強さと悪い忍耐強さがある」なんて話は聞いたことがないし、「我慢強さが腐った」なんて人に出会ったこともない。となれば、これはもう、そうした「性格や精神力うんぬん」とは別の次元の存在としか思えない。
では、根性とは何か。それは、「無根拠な精神論全般」のいいわけのために生み出された言葉である。世の中には精神論の類いがゴマンとあるが、その中で、「論理的、科学的、宗教的、哲学的といったきちんとした体系に基づき説明のつくもの」以外の、どれにも当てはまらない無根拠な精神論を説くためにどこからともなく現れた便利な道具、それが根性である。 | |
| 48 リベラルさん | 2013/02/27(水) 23:03:57 |
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今でもスポーツの世界などでは、この根性というやつが登場する。面白いのは、スポーツをきちんと研究し考察している監督やコーチは、決してこんな言葉など使わないのである。根性という言葉を口にするのは、いつも決まって「自分が正しいと信じているという以外に何の論拠もない特訓や練習」を選手にやらせるような類いの人間なのだ。
根性の特徴、それは「すべての反論を封殺することができる」という点にある。「この訓練の成果は何ですか?」などと聞く人間には、「きさま、そんなことをいうのは根性が腐ってるからだあっ!」と一括すればすんでしまう。また、「何の理由もなく、人を偉く見せる」という特徴もある。何の取り柄もない自分を「根性だけはある」と誇ることができる。 | |
| 49 リベラルさん | 2013/02/27(水) 23:05:07 |
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(この辺りは、やたらと愛国心を振り回す連中と
そっくりである。愛国心を振り回していれば、乱暴な言動も許されると 思っているのと似たり寄ったりなのだ。他者を黙らせるには この手が一番効果がある)。 根性は、それを自ら振り回して武器として使える。多くの精神的な力と根性の最大の違いはここいらへんにある。精神的な能力は、誇れない。というより、そんなもんを自分から誇るような人間が精神的に優れているとは誰も思わない(笑)。ところが、根性というやつは、自分で自分の売り文句として使えるのである。「僕は忍耐強い人間です」なんてこっ恥ずかしいことをいう人間なんてあまりいない(というか、そんな恥ずかしいことを口にすることさえ我慢できないやつが我慢強いわけがない)。けれど「僕は根性あります」と平気でいう人間はけっこういる。 | |
| 50 リベラルさん | 2013/02/27(水) 23:06:14 |
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根性は、日本においては無条件に美徳であり立派なものであるとされる。根性は、上の人間にとっては自分の横暴さを覆い隠し、下のものにおいては自分の無能力をカバーする。きちんとした論拠を示さず曖昧模糊とした精神論を簡単に正当化することができる。だからこそ、僕はこの言葉が大嫌いである。
(企業の経営者にも、会社の業績が思わしくないのは自分の経営者としての 能力の不足なのに、それを棚に揚げて、社員に対して根性論を振り回して、「地獄の特訓」とかを やらせるのがおるが、それと同じ)(笑い) | |
| 51 リベラルさん | 2013/02/27(水) 23:07:32 |
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人間は、そんなに単純じゃない。忍耐強さは大切だけど、忍耐強いだけの人間が立派なわけではない。人間には様々な性質や性格が入り交じっているわけで、それがトータルで人の人格を形作っている。人間というのは、そういう複雑なものなのだ。――だが、「根性」は、人間のそうした複雑なありようをすべて否定し、ただ一つの物差しだけで人間を評価できるかのような錯覚を与える。
イチローも野茂も、中田も、根性なんて言葉はまず使わない。そんなものを使うのは二流の選手だけだ。「一流にはなれないけど頑張りましたぁ!」というやつ、いるでしょ?あれね。根性なんてものは、一流でない証明なんだ。ダメなやつほど、この言葉に頼るのだ。すべての根性教の信者諸君。今日から、根性を入れ替えるように(笑)。 | |
| 52 リベラルさん | 2013/02/27(水) 23:08:53 |
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根性論(こんじょうろん)とは、苦難に屈しない精神=根性があれば、如何なる問題も解決できる・または如何なる目標にも到達できるとする精神論の一つ。
人間の限界を引き上げるものとする考え方の一方、近年では、軍国主義の精神論に近い人間の尊厳を軽んじる思想として厳しく批判されるなど、その賛否は大きく分かれる。 なお「根性」とは、本来は仏教用語の機根に由来する言葉である。現在の根性は「異常なまでの努力」といった意味で使われる場合が多いが、本来は「その人間が持って生まれた性質」であり、より深くは衆生が仏の教えを受け入れられる能力や器の浅深のことと言われる。これが現在のような意味合いに変化(誤用)されるようになったのは、東京オリンピック(1964年)の女子バレーボール日本代表チーム(いわゆる『東洋の魔女』)に特訓を課し、金メダルに導いた指導者大松博文の発言がきっかけと言われている。 | |
| 53 リベラルさん | 2013/02/27(水) 23:10:00 |
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根性論は古くより、スポーツの選手や挫折した人を激励する場面で用いられてきた。現代では営業職をはじめとするビジネスの世界にも用いられ、ビジネス本には根性論の色彩が強い。
苦労に挫折せず更なる向上を目指した結果、今までできなかった事が可能になる。そしてそのような利益を得るためには、努力するしかない。努力を続けるために必要なのは根性であり、何事にもめげない精神力こそが必ず人を成功へと導く、という思考法である。 こうした考え方は常に否定されるわけではなく、メンタル面が結果を左右する場面では、スポーツの試合において「根性」「絶対に勝つんだという気持ち」など精神的な要素が勝敗に影響する事や、正しいトレーニングをする上でのモチベーション維持として用い、健康を害する事なく技術や体力の向上に繋がるといったことも観察される。 | |
| 54 リベラルさん | 2013/02/27(水) 23:11:04 |
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その逆に、誤った方向での努力も見られる。「炎天下で水を飲まずに練習を続けて熱中症で倒れる」「関節や筋を傷めていたり、風邪を引いたりしているのに寒い屋外で練習を続行して、体調を余計に悪くする」といったケースがそれである。
また、根性論の中には旧時代的、あるいは軍隊的な発想や思考が根拠になっているものが少なくない。顕著な一例として、「スポーツ時は水分を摂ってはいけない」「屋外練習で暑いのは体の柔軟性が増すのでよい」という考えが1980年代頃まで学校教育運動(体育・部活動など)で一大常識となっていた事が挙げられる。これは第二次大戦中における、 アジア方面の戦域で日本軍が長距離行軍時に、喉の渇きに耐えられず、不衛生な井戸水や用水、川水などを飲んで腹を壊した」 | |
| 55 リベラルさん | 2013/02/27(水) 23:12:14 |
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「上記と同様、炎天の長距離行軍に際し、後先を考えず水筒の水を飲み干してしまい、後半以降脱水症状に陥り倒れた」
「運動時に水を飲むと早く疲れる(と、当時言われていた)」 などの経験則に由来すると考えられるが、行動が生死に直結する戦場ならばともかく、平時のスポーツでは意味のない注意であり、およそ合理性が欠落した指導といえる。スポーツの世界に対して、運動中は水分摂取が必要であるとする医学的見解が長らく示されなかった事が、こうした指導が長年にわたって続けられた最大要因であるが、苦痛に耐えてそれを超え得る事が進歩をもたらす、といった極端な信念が罷り通っていたことも要因の一つと言えるであろう。 | |
| 56 リベラルさん | 2013/02/27(水) 23:13:29 |
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「途中で投げ出さず最後までやり遂げる」「途中でやめるのは格好が悪い」との根性論から中途での断念を不名誉なものとし、故障を隠して強行出場したり、持久力を必要とする競技では体調不良で意識が朦朧とした状態でありながら競技継続を強行しようとする選手が出ることがある。さらには、クラブ活動で上級生からの理不尽ないじめに遭ったり、顧問からセクハラや体罰に遭っても、上記の理由から途中でやめることもできず、最悪の場合自殺に至る場合がある。
もっとも、この状況は競技のトップレベルともいえるオリンピックなどの国際大会でも同様で、「途中棄権は国の体面を汚す」「負傷・故障での途中棄権や参加取消は、国民や所属企業・スポンサー・代表チーム関係者(国籍によっては国家指導者)の多大な期待に背く行為」という理由で、故障をひた隠しにして精神力・根性という言葉だけを頼りに強行出場する選手は日本内外を問わず少なからず見られ、根性論はスポーツという世界の全体に見られる体質という一面もある。 | |
| 57 リベラルさん | 2013/02/27(水) 23:14:57 |
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とはいえ、その様な状況で強行出場したところで、結局は故障が原因で本来のパフォーマンスには程遠いパフォーマンスしか発揮できず終わるケースもまた多い(もっとも、国籍が独裁政権の国家にある場合には、国家指導者の勘気に触れてしまうため、根性で出場どころか強行してでも出場しなければ自身や親族の身の安全に関わるというケースもある)。
現代スポーツにおいての根性論。 また、日本においては近年まで、プロスポーツや実業団スポーツの世界ですら、「根性と練習と実戦経験は何物にも勝る」という思想を至上とする指導者や解説者・関係者が多く、スポーツ科学やスポーツ医学が無視され、貶められてきた感は否めない。その結果、多くのスポーツの現場で「短時間で終わる、効率的で効果のあるトレーニング」を「怠けである」として否定し、プロ選手ですら長時間で過酷な練習を強いる状況が見られてきた。 | |
| 58 リベラルさん | 2013/02/27(水) 23:16:07 |
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特に有名な例としては、立花龍司がプロ野球の近鉄バファローズでトレーニングコーチ職として選手を指導していた際の事が知られる。前任監督で立花の指導法に理解のあった仰木彬の後に監督に就任した鈴木啓示が声高に主張したトレーニング法はおよそ前時代的な根性論であり、立花の指導法を「選手を甘えさせるもの」として否定し対立。結果的に立花は満足行く指導ができなくなり、鈴木政権の2年目で辞表を出し近鉄を去った。立花の理論的なトレーニングに信頼を寄せ実践していた野茂英雄や吉井理人も、根性論に基づいた指導ばかり繰り返す監督、そして球団に戸惑いと不信感を抱き対立(野茂は大リーグへ去った)。結局はこれらが要因となってチームは低迷期に陥り、翌シーズンには鈴木自身が休養を理由に監督業を途中で放棄することとなった。ちなみに、立花トレーニングコーチ退団の痛手は小さくなく、これ以降、近鉄投手陣は低迷を続け、2004年の球団消滅まで仰木時代の球団防御率の平均値である3.70を上回ることは一度もなかった。
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| 59 リベラルさん | 2013/02/27(水) 23:17:19 |
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当人が根性論を重んじ、この信念に基づいた行動を自ら取る限りは、どのような結果が出ようとも当人の自由であり自己責任ともいえる。だが、学校教育活動の場などで、責任者がこのような誤った危険なトレーニング法を根性論を振りかざして強行していた場合は責任問題となる。1960年代から1980年代に掛けては、医学的知識も根拠もなく、理不尽かつ暴力的な加虐行為を繰り返す監督責任者によってしばしば健康被害を訴える人が続出し、管理責任を問う裁判が起こされるなどの社会問題も発生していた。
結論としては、人間にとっては、武道でもスポーツでも 鍛錬する場合は、科学的・合理的な理論に従って 行うべきであろう。 | |
| 60 リベラルさん | 2013/03/27(水) 16:38:38 |
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またまた、日本の柔道界の不祥事が発覚した。
YOMIURI ONLINEより 【全柔連、助成金上納をメールで督促…強制徴収か】 (2013年3月21日07時30分 読売新聞) 全日本柔道連盟(全柔連)強化委員会による日本スポーツ振興センター(JSC)の助成金の上納問題で、これまで全柔連は「任意の徴収」と説明してきたが、未納の強化委員に対し、全柔連の職員が「下記口座へお振り込みください」と支払いを督促する電子メールを送っていたことが20日、明らかになった。 指示に従った強化委員は「断り切れなかった」と話すなど、強制的な徴収の可能性が高まった。 読売新聞が入手した電子メールは、「強化活動費の回収について」などのタイトルで、全柔連強化課の職員から発信された。暴力問題で辞任した吉村和郎前理事の強化委員長時代に出されたもので、文面には「吉村先生に代わってご連絡します」との文言もある。 | |
| 61 リベラルさん | 2013/03/27(水) 16:39:51 |
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【全柔連、助成金を不正受給…架空の指導計画提出】
(2013年3月23日09時06分 読売新聞) 全日本柔道連盟(全柔連)の強化委員会が日本スポーツ振興センター(JSC)の助成金を上納させていた問題で、全柔連理事の1人が22日、読売新聞社の取材に対し、指導実態が全くないのに助成金を受給(総額210万円)していたことを認め、「そこから一部を全柔連に振り込んだ。おかしいと声を上げなかった私にも責任がある」と不正受給の実態を証言した。 強化委員を務めるこの理事は、2010年に強化委から、面識のない選手の指導者に登録されたことを告げられ、指導計画書の提出などを求められた。その後10年度に2回、11年度に4回、12年度に1回、JSCから、それぞれ30万円が個人口座に振り込まれた。 強化委からは「10万円を指定口座に振り込むように」との指示があり、その都度、従ったという。「委員に割り振って吸い上げる図式だったのではないか。組織の(不正の)片棒をかついでしまった」と説明した。 | |
| 62 リベラルさん | 2013/03/27(水) 16:40:57 |
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【全柔連不正受給、「指導」ウソ報告…選手ら証言】
(2013年3月24日07時13分 読売新聞) 全日本柔道連盟(全柔連)が、日本スポーツ振興センター(JSC)からの助成金を不正受給していた問題で、現場の指導者や選手からも不正の実態を裏付ける証言が相次いだ。 関東地方の男性指導者は読売新聞に「自分は、あいさつ程度しか交わさない男子選手のコーチとして全柔連に登録され、助成金を受け取っていた」と打ち明けた。この指導者はロンドン五輪の代表選手の担当コーチとして登録されたが、所属先が異なるため、指導実態はなかったという。数か月に1度、全日本の強化合宿で一緒になった際「頑張れよ」「はい」と言葉を交わす程度の関係だった。 一方、この選手を実際に指導していた所属先の監督も取材に応じ「(強化委員でない)私はJSCの給付対象から外れていた。関係ない人が指導者になり、お金をもらっていたと知って驚いた」と困惑していた。 | |
| 63 リベラルさん | 2013/03/27(水) 16:42:01 |
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以上のように、選手に対する暴力問題以外に、こうした
公金の不正受給問題までも起こしていた訳である。 組織的な一種の「詐欺」とも言えることを内部で 行っていたということであり、やはり、これは、前述した 暴力問題とも無関係とは言えないのではないか。 言わば、組織としての前近代的体質とも言える点に おいてである。しかも、全柔連の会長は、いけしゃーしゃー として、第三者委員会の調査を待つと言いながら 辞任しようという気はないらしい。 この問題は、世界にも発信されており、日本の スポーツ界の恥さらしとなった。 | |
| 64 リベラルさん | 2013/03/27(水) 23:15:01 |
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因に、日本スポーツ振興センター(JSC)は
文科省の天下り先らしいし、全柔連は、 警視庁の天下り先らしい。 役人のOB連中は、公金を馴れ合いで 自分達の好きなように使う事に何の 痛みも感じないらしい事がよくわかったということである。 今や日本のシステムの隅々に、こういう天下り連中の 毒が回り回って日本が腐り始めている。 まさしく、日本の屋台骨を食い物にしている「シロアリ」だ。 | |
| 65 リベラルさん | 2013/03/28(木) 15:50:15 |
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【吉田松陰の教育論が日本を変える――教え子を差別せず、対話重視の教育】
「八重の桜」第5回の「松陰の遺言」 番組案内では、2月3日の「八重の桜」は「松陰の遺言」となっている。 松陰の遺書は、処刑前に牢獄で書いた「留魂録」で、辞世の句は、江戸送りになるときに詠んだ次の歌だ。 身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂 死に臨む松陰の心境は、生前に杉晋作に送った手紙の文面から推測できる。 死は好むべきに非ず(あら)ず、 亦(また)悪(にく)むべきにも非ず、 道尽(つ)き心安(やすん)ずる、 便(すなわ)ち、是(こ)れ死所(しにどころ) (死は求めるべきものでもなく、避けるものでもない。人として道を成し遂げたら気持ちが落ち着く。これが死というものだ) | |
| 66 リベラルさん | 2013/03/28(木) 15:51:24 |
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「日本の教育再生」には、吉田松陰の教育論がベスト
萩藩の下級藩士吉田松陰は、優れた兵法学者・思想家・教育者だった。 松陰の思想は、江戸時代以降の日本人に指示されてきた「赤穂義士」と通じるものがある。 「赤穂浪士」の映画やドラマで、大石内蔵助が吉良邸に討ち入る合図として山鹿流陣太鼓(やまがりゅうじんだいこ)を打ち鳴らす場面が出てくるが、吉田松陰の家系は代々や山鹿素行を祖とする「山鹿流兵学」の師範だった。 松陰の思想には先見性があったが、幕藩体制を揺るがすその過激な思想を危険とみた大老井伊直弼は、反対勢力の大弾圧「安政の大獄」を敢行、松陰は30歳で斬首された。 しかし、彼の遺志は「松下村塾」の教え子たちが継ぎ、明治維新を断行する思想的バックボーンとなった。 日本の初代総理大臣・伊藤博文は松陰の教え子・弟子だったことだけ見ても、そのことがよくわかる。 | |
| 67 リベラルさん | 2013/03/28(木) 15:52:27 |
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松陰は「自分の目で見て確かめる」ことを第一とした
松陰は、藩主毛利敬親に具申した文書で、「至誠」について言及し、「中庸」の文言を引用し、こう記した。 「一に曰く実じつ)なり。二に曰く一(いつ)なり。三に曰く久(きゅう)なり」 (人が「誠」を実現するには、「実行」「専一」「継続」が大事であります) ①有限実行。 ②一つのことをトコトンやるべきだが、やることに筋が通り、ぶれないこと。 ③成果が出るまで、やり続けること。 それには、単なる耳学問ではなく、「自分の目で実際に見て確かめなければならない」という考えが、松陰にはあった。 だからこそ、当時「国禁」とされていた海外渡航を企て、それが原因で処刑されることになるのだ。 | |
| 68 リベラルさん | 2013/03/28(木) 15:53:30 |
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人は長く生きればいいというものではない
吉田松陰が杉晋作に送った手紙に、次の一文がある。 死して不朽の見込みあらば、いつでも死ぬべし。 生きて大業の見込みあらば、いつでも生くべし。 自分が死ぬことによって志が達成できるのなら、いつ死んでも構わない。 生きていることで大きなことが実現する可能性があるのなら、生きていればよい 人の命には限りがある。若くして死のうが、年おいて死のうが関係ない。 どれだけのことをやったかという満足度の問題である | |
| 69 リベラルさん | 2013/03/28(木) 15:54:36 |
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今こそ「松陰の教育論」が必要
吉田松陰は、「日本史上屈指の教育者」といってよいだろう。 私塾「松下村塾」で教えたが、その期間はきわめて短かった。 にもかかわらず、杉晋作、久坂玄瑞(くさかげんずい)、伊藤博文ら、日本の近代化に多大な貢献をしたたくさんの偉人を輩出した。 その理由は、学んだ期間は短くても、「教えのなかに共鳴させるもの」があり、学んだ者の以後の思想形成・人格形成に多大な影響を及ぼしたからだ 松陰の教育の特徴は「ともに学ぶ」 松陰の特徴は、次のようなものだった。 ①松陰の教え子には幼い者も混じっていたが、「子どもだから」という扱いはせず、青年たちと一緒に議論させた。 わからないことがあってもいい。成長すれば、やがて自然にわかる時期がくる。 雰囲気が大事で、難しいことはわかる範囲でわかればいいという考え方だ。 | |
| 70 リベラルさん | 2013/03/28(木) 15:55:40 |
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②吉田松陰は、教え子を「諸友」と呼び、教師との間に身分的な上下関係や垣根を設けなかった。
先生も生徒も一緒になって考えることが、教育の基本と松陰は思っていたのだ。 ③「自分以外は皆、師」であり、学ぶことに貪欲であれと教えた 教えるだけでなく、自らそれを実践していた。たとえば、萩から江戸へ旅行しても、まっすぐに江戸へは行かず、途中の町や村に居住する著名な学者を訪れて、議論をし、自分の知らない蔵書を見せてもらったりして、見聞を広めた。 | |
| 71 リベラルさん | 2013/03/28(木) 15:56:50 |
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④勉強は継続することに意義がある。
松陰は20代半ばのときに獄舎にぶち込まれたたが、そこにいた囚人に呼びかけて孟子の講義をした。そのときにいった言葉を後で『講孟余話』という本にまとめ、次のようにいっている。 「学問の大禁忌(だいきんひ)は作輟(さくてつ)なり」 (よくない勉強法とは、やったりやらなかったりすること。勉強は継続することが大事だ) ⑤「ほめ上手」で、子どもの「やる気」を引き出した。 松陰は、「誰にも一つや二つは得手がある」 といって、一人ひとりの子どもの「いいところ」を見つけて褒め、「やる気」を引き出して隠れた才能を伸ばす教育をした。 | |
| 72 リベラルさん | 2013/03/28(木) 15:58:12 |
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⑥教え子が旅立つときは、心のこもった送辞を贈って鼓舞した。
私が好きな送辞は、入江杉蔵(いりえすぎぞう)に送った文だ。 「杉蔵往(ゆ)け。月白く風清し、飄然(ひょうぜん)として馬に上りて、三百程、十数日、酒も飲むべし、詩も賦(ふ)すべし」 短いが心がこもっている。それより何より、死というより仲のよい「友人」の送る言葉になっているところがいい。 | |
| 73 リベラルさん | 2013/03/28(木) 17:22:20 |
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【松陰は、大和魂という単語を使って和歌、「かくすればかくなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂」を詠んだ。これはいったいどんな意味なのだろうか。】
大和魂は、軍国主義とはまるっきり関係ない。なぜならば、大和魂のもっとも古い用例は『兄小林秀雄との対話』によると源氏物語の「乙女」のなかにあるから。 猶、才を本としてこそ、大和魂の世に用ひらるる方も、強う侍らめ これは光源氏が、わが子をどのように育てたらよいのか考えている場面である。光源氏はトップクラスの高官なので、むすこが元服したらすぐに、どんな高い地位にでも就けてあげられる実力者だ。そうすると周囲は、息子をちやほやしてくれるだろう。 しかし、当時の先進国だった中国の学問をしっかり身につけさせようと考えた。現代風にいえば、学校で勉強させることである。でも理屈だけ詰めこむと、社会常識を踏まえない頭でっかちな人間になりがちだ。 | |
| 74 リベラルさん | 2013/03/28(木) 17:24:42 |
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そうなると、あとで世の中から冷たく扱われて苦労する。だから何事であれ妥当な判断ができるようになるのが望ましいといえる。そこで均整のとれた感覚を、紫式部は大和魂と名づけている。
さて、『兄小林秀雄との対話』では今昔物語を引いて、次のように説明している。 融通のきかない、かたい学問知識にたいして、柔軟な、現実生活に即した知恵のことをいっているんだね。学者とか知識人とかは、観念的な生活をしているが、そこには大和魂はない。 一般の、あたりまえの、日本人的な、具体的な生活をしている人たちが、大和魂をもっている。 | |
| 75 リベラルさん | 2013/03/28(木) 17:25:45 |
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もう一つ、本居宣長の和歌は割合と知られている。
敷島の 大和心を人問はば 朝日ににほふ山ざくら花 にほふは「匂う」。はて、この歌で「なるほどねえ」とうなづく人がいるだろうか。宣長さんは何をいいたかったのか、私にはさっぱりわからない。山ざくら花がどうしたというのだろうか。 昭和初期には、「花は桜木、男は武士」と鼓舞して、桜のようにいさぎよく散って死ぬのが日本男児であると思わせるために、わざと悪用された。 こういうことではなくて、自分をえらく見せようとして心にもない嘘をついたり、いつわったりせず、まことを正直にあらわす。これが小林秀雄のいう大和魂である。だから日本固有の観念などではなくて、人種国籍、年齢性別を問わず、どんな人だって大和魂をもてる。 | |
| 76 リベラルさん | 2013/09/26(木) 12:51:19 |
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読売新聞の記事から引用
「桜宮高体罰、元教諭に懲役1年・猶予3年判決」 大阪市立桜宮 さくらのみや 高校バスケットボール部キャプテンの2年男子生徒(当時17歳)が同部顧問から体罰を受けた翌日に自殺した問題で、この生徒に対する傷害、暴行の両罪に問われた当時顧問の元教諭・小村基 はじめ 被告(47)(懲戒免職)の判決が26日、大阪地裁であった。 小野寺健太裁判官は「自己の指導方法をかえりみる機会があったのに、効果的で許されると妄信して暴力的指導を続けた。刑事責任は軽視できない」と述べ、懲役1年、執行猶予3年(求刑・懲役1年)の有罪判決を言い渡した。 判決によると、小村被告は昨年12月18、22日、同高体育館で行われた練習試合で、男子生徒が積極的にボールに飛びつかなかったことなどにいらだち、顔や頭を平手で複数回殴り、唇に約3週間のけがを負わせた。 小野寺裁判官は、男子生徒が暴行を受けた後の同月23日に自宅で自殺したことに触れ、「男子生徒が肉体的だけでなく、相当な精神的苦痛を被っていたことは明らかだ」と言及した。 | |
| 77 リベラルさん | 2013/09/26(木) 13:03:02 |
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この問題は、日本の伝統・文化にも
関わりがあるのかも知れない。 この判決を受けた顧問は、決して、悪気があって 体罰を振ったのかどうか。昔から続く日本の伝統的な 指導方法に則って指導や体罰を行っただけかも 知れない。日本の保守をもって任じている人たちは、 この顧問を擁護すべきなのではないか。 何故なれば、旧日本軍の内務班におけるしごきは こんなものではなく、もっと凄まじいものであったと 聞く。日本の伝統・文化にマンセーする人たちは この「スポ根もの」に対して、日本的美徳だと 思っているはずだ。例の戸塚ヨットスクールの やり方に対して、肯定的な立場を取るはずだからである。 石原慎太郎前東京都知事も昔、「スパルタ教育」の本を 書いて出した事があった。小生も読んだ記憶がある。 | |
| 78 リベラルさん | 2013/09/26(木) 13:12:08 |
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保守派の人たちの考え方は、強い日本人、強い国家を
目標としているはずだからである。 それだからこそ、旧日本軍の内部では、表向きは 体罰は禁止されていたのだが、それは建前だけで しっかりとしごきが行われていたのである。 その目的は、強い兵隊を作るためであった。 戦後は、その目的が強い選手を作る為に変わった だけで、手段としての指導方法は変わっていないのだ。 保守派が主張する日本の伝統・文化の尊重には こういうものも含まれているのではないか。 今回の判決は、時代の流れで、体罰はダメだとする 風潮の中で出た判決で、昔ならそんなに問題に しなかったのだろう。 | |
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