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桜問題提起スレッド
禅や精神世界の小話を纏めます。
投稿者:miyazakiさん投稿日時: 2022/05/28(土) 23:57:41

 ちょっと振り返ったらここに投稿させて頂いて10年以上経ってました。

 そこで小話を読み易く少しずつ纏めていこうと思います。


    ある禅師が臨終を迎えようとしていた。他国で修行させていた弟子が最近大悟したとの

知らせがあり禅師はこの弟子を枕元へ呼び寄せた。

禅師「じつはのう、お前に伝えていない禅の奥義がまだもうひとつあってな。それが

これに書いてあるのじゃ」と弟子に封書を手渡した。すると弟子は

「何を馬鹿な、あなたは気でも狂ったのですか?」と一瞥もせずそれをそばにあった

火鉢の中に置いた。メラメラと炎が立ち昇りすぐに灰になった。

それを見た禅師は「でかした」と言うとにっこり笑って息を引き取った。


      
                   ●

  
1 miyazakiさん 2022/05/29(日) 00:00:36
 ひとりの禅師にある人が新約聖書を呼んで聞かせていた。そしてこの一節に行き当たった。

汝(なんじ)野の百合を想うがいい
思い煩うこともなく明日を思うこともない
今、ここにあってあまねく美しい
あの大王ソロモンがその栄光の頂にあった時でさえ
この美しさには及ぶべくもない

禅師はここまで聞いて突然こう言った。

「待った!誰が言ったか知らないが、これは覚者だ。」

禅師はキリストもキリスト教も知らなかった。

日本にまだキリスト教がそれほど普及していない時だった。

「もういい、これ以上言う必要はない。誰であろうがこれは覚者の一人だ。」


                 ●


2 miyazakiさん 2022/05/29(日) 00:05:41

   本来の禅はユニークで型破りである。場合によっては弟子が師をぶん殴るのだ。弟子が

大悟すると師の部屋にいきなり入ってきて師を殴るのである。もう師と弟子という垣根は

無いからだ。ぶん殴られた師は「でかした!」と言う。これをまだ悟っていないで弟子が

勘違いで行うとどうなるかは知らないが、師は殴りかかる弟子に何の、力みも迷いも

ないことを見抜くのだ。これが昔、武士だった禅師だと最初のパンチはひらりとかわし

「ふん、悟ったというのか、ならば自分に何が起こったのかその境涯を言ってみろ」

と反撃の問答となる。弟子がその境涯を表現すると師は「馬鹿物!そんなものは本当の

悟りではない。野狐禅じゃ、偽者じゃ、」と怒鳴りつける。すると弟子は

「ならば本物を捨て野狐を愛するのみ!」と応えた。

師は顔をクシャクシャにして涙を流しながら「でかした!我が弟子よ、パンチ無きパンチ

がワシの顔に炸裂じゃ」



                ●     ○


   
3 miyazakiさん 2022/05/29(日) 00:13:06

 NHKアーカイブス●禅●喫茶去アナザーカット

趙州「おまえさんは前にもこの寺へ来たことがあるかえ?」

僧「いいえ 私は初めてここへ参りました。」

趙州「そうか ではお茶をお上がり」



後日、また別の僧がやってきたとき

趙州「おまえさんは前にもここへ来たことがあるかえ」

僧 「はい 私は前にも参りました。」

超州「そうか ではお茶をお上がり」


院主「超州さま、前に来た者にも初めて来た者にもそのようにお茶を出しては

 意味がありますまい。」

猫のようだった超州が豹変し虎になって吠える

「かーつ!院主よ おまえはまだここにいるのか?」




院主「は、はい、ここにおります。」

趙州「そうか、ではお茶をお上がり」



                ●




月日は流れ趙州は臨終のときを迎えた。死が彼のもとへやって来た。

「遠いところを御苦労じゃったの、わしを連れていく前にまずはお茶をお上がり」

死は恐縮しながらお茶を頂いたという。


4 miyazakiさん 2022/05/29(日) 00:20:38

  連歌師の蜷川新右衛門は名高い禅師一休に入門をのぞんで京は紫野の大徳寺を訪れた。

  玄関にて問答があった。

一休「どなたじゃな?」

蜷川「仏法帰依の俗にてござる」

一休「いずこのお方じゃ?」

蜷川「和尚と同国なり」

一休「ふむ、あちらはこの頃どうでござる?」

蜷川「からすはカアカア、すずめはチウチウ」

一休「そこもと、今何処におられるとお思いか?」

蜷川「濃むらさきにに染まりし野に」

一休「なにゆえじゃ」

蜷川「桔梗、萱草、女郎花」

一休「それらが去りし後は?」

蜷川「宮城野、、秋なる花、ひらく野なり」

一休「宮城野にて何ぞおこるかの?」

蜷川「水は流れ、風わたり申す」


5 miyazakiさん 2022/05/29(日) 00:25:40
それでは爆湾解説委員の解説

一休「どなたじゃな?」

*自分とは誰か、自分とは何か、一休のどなたじゃな?はそれを指している。

蜷川「仏法帰依の俗にてござる」

**蜷川は自分の名前を言わなかった。謙虚な態度である。

「私は蜷川です、ご存知でしょう?有名な連歌師で宮中の出入りも許されています。」

 などとは言わなかった。彼は仏法の帰依者と言っただけだ。

 
一休「いずこのお方じゃ?」

蜷川「和尚と同国なり」

***実際蜷川は一休と同じ領地の出身だが、蜷川はそんなことを言ったのではない。

彼は内面的な領域について言っている。おそらく、あなたはもう到達してしまわれたので

しょう。私といえばほんの初心者だ。しかし私も同じ領域に属する者です。

和尚と同国なり、私はあなたと同じ世界に属しています。


 
6 miyazakiさん 2022/05/29(日) 07:50:12

 一休「ふむ、あちらはこの頃どうでござる?」

***一休は蜷川をつっつく、挑発している。もしかしたらこの男はどこかで習った

のかも、あるいはこうした問答が書かれている教典を勉強した禅宗の学者か?

謙虚な態度も表面だけならかえって人は傲慢になるし、偽物はどこかでボロを出すだろうと


蜷川「からすはカアカア、すずめはチウチウ」

**これこそがニュースだ。日は昇り日は沈む、永遠なるものだけが常に新しく決して古く

はならない。

一休「そこもと、今何処におられるとお思いか?」

***一休は厳しい。また別のところから攻撃を仕掛ける。即ち現在に引き戻す

君は今自分がどこにいると思うかね?

蜷川「濃むらさきにに染まりし野に」

***大徳寺は京都の紫野にある寺として知られていた。


一休「なにゆえじゃ」

***なぜそんな呼び方をする?君は今紫野の寺にいる。なぜここを濃むらさきに

染められた野とよぶのかね?

蜷川「桔梗、萱草、女郎花」

***花がいたるところ咲き乱れている。蜷川は紫野という名ですからそう申しました

とはいわない。名前は記憶に属するもの、過去に属するものだ。
7 miyazakiさん 2022/05/29(日) 08:10:57
それにこの師は「今」のことを訊いている。周りは花々であふれている。

一休が「今」について訊けば蜷川もまた「今」について話している。

しかし一休はまったく厳しい禅師だ。攻撃の手を緩めない

一休「それらが去りし後は?」

●結構だ。たしかに花がさいている。だからそう呼んだのだね、だがまもなく花は

散ってしまう。それを何と呼ぶ?花が去ったあとは

蜷川「宮城野、、秋なる花、ひらく野なり」

●雲はあらわれまた消える。これは同じ硬貨の両面だ。花は咲き、花は散る、これも

同じ現象の二つの局面にすぎない。「在る」ことと「不在」であることは対立する

ものではない。今は花が咲いて「在る」だから紫野と呼ばれよう、そして花が散り

去ったときには、人々はこれは秋になってあの紫色の花が「不在」になった野だと

言うだろう。いずれにしても紫野であることに変わりはない。


一休「宮城野にて何ぞおこるかの?」

●内心驚きながら一休は最後の問いを出した。

蜷川「水は流れ、風わたり申す」

禅師はその禅風にいたく驚き、蜷川を奥間に通して茶をもてなした。
8 miyazakiさん 2022/05/29(日) 08:27:00
 いいかな、これは禅風であって厳密に禅ではない。禅の入口にすぎない。

だが蜷川は暗闇を手探りで歩いてきて、ある種の質をつかんでいる。

暗い夜、突然走る稲妻、あなたは一瞬それを見る。そして暗闇が戻る

これがこの偉大な詩人に起こったことだ。彼はまさに境界線の上に立ち

そこから彼岸を垣間見る。あくまでもちらりと見ることにすぎない。

あくまでそれは禅風にとどまる。では禅風が禅になるのはいつだろうか?

一休は稲妻ではない。禅師は真夏の白日である。


禅師はその禅風にいたく驚き、蜷川を奥間に通して茶をもてなした。

●ここにあるのは人が師に受認されたことを示す象徴だ。

茶をもてなすとは「もっと目覚めよ」と言っているのだ。

その折読まれた歌

何をかな参らせたくな思えども達磨宗には一物も無し
9 miyazakiさん 2022/05/29(日) 08:31:33
●禅宗では珍味馳走は許されない。だからそのままの意味では、「何か差し上げたいが

 残念ながら達磨宗(禅宗)には何もないのだよ、、」となる。

 これは一休が蜷川の最も奥深い核心に浸透しようとする最後の努力だった。

 一休は茶をすすめることで「もっと目覚めよ」と示し、そしてこう言ったのだ

 残念ながら何も差し上げられないーー「無」以外は何も。

これは師が投げ放った最後のワナでもあった。蜷川がみせかけだけの人物だったら

茶のもてなしを受けた後ではふっと気を緩めていただろう。人は長い時間見せかけを

続けられるものではない。「わたしは受け入れられた。一休禅師が居室に通して茶を

ふるまってくれたのだから、、、」何かのふりをするというのは大変な緊張を要する。

山が過ぎたと思えばリラックスせずにはいられない。

というわけで一休は最後のワナを仕掛けた。


蜷川の返歌

一物も無きをたまわる心こそ 本来空の妙味なりけり

10 miyazakiさん 2022/05/29(日) 08:58:46
いや、蜷川には本物の禅風の理解があった。彼は単なる詩人ではなかった。

蜷川は即座に一休の歌を理解した。ことに臨んで即であることができたのだった。

彼は「反応」ではなく「対応」することができたのだった。

「何もないもの、つまり無をもてなしてくさるお心こそ、本来の空、妙味の極みで

 ございます。」

 無こそ贈り物の中の贈り物、これ以上のものは存在しない。

 それはあたかも、神を飲み干したかのような極致

●●

  深く心を動かされた禅師が言った。「そなた、多くを学んできたものよのう」

この学ぶというのは知識のことではない。禅では学びとることと知識とをちがうもの

とみなしている。知識というのは借り物だが学びとるとは自分自身のもの。

知識は言葉や言語、それに観念を通じて得られるが学びとるとは自身の経験を通して

得られるものだ。知識は常に完了形をとるが学ぶことは完了がない、常に途上にある。

最後の最後の瞬間まで人は学び続けていく。

知識は必ずどこかで止まり、エゴとなっていくが学ぶことには終わりがなく、謙虚な

ままであり続ける。

●空とは空っぽではない そこは純粋なエネルギーに溢れかえっている

11 miyazakiさん 2022/05/29(日) 09:10:37
           ナナオの詩

  半径一メートルの円があれば 人は 坐り 祈り 歌うよ

  半径十メートルの小屋があれば 雨のどか 夢まどか

  半径百メートルの平地があれば 人は稲を植え 山羊を飼うよ

  半径一キロメートルの谷があれば 薪と水と山菜と紅天狗茸

  半径十キロメートルの森があれば 狸 鷹 蝮 ルリタテハが来て遊ぶ

  半径百キロメートル みすず刈る 信濃の国に 人住むとかや

  半径千キロメートル 夏には歩く珊瑚の海 冬は流氷のオホーツク

  半径一万キロメートル 地球のどこかを歩いているよ

  半径十万キロメートル 流星の海を泳いでいるよ

  半径百万キロメートル 菜の花や 月は東に 日は西に

  半径百億キロメートル 太陽系マンダラを昨日のように通り過ぎ

  半径一万光年 銀河系宇宙は春の花 いまさかりなり

  半径百万光年 アンドロメダ星雲は 桜吹雪に 溶けてゆく

  半径百億光年 時間と空間と すべての思い 燃え尽きるところ

   
          そこで また 人は坐り 祈り 歌うよ

              坐り 祈り  歌うよ




          
12 miyazakiさん 2022/05/29(日) 18:47:38
  
愛国NHKアーカイブス☆神を見出したミケランジェロ

大きな教会を建てる工事が行われている街角をミケランジェロが通りかかると

足元に大理石の柱が転がっていた。これはどうするのかと彼が石工に尋ねると

使い道が無いので捨てるのだと言う それでは私が頂こうといって引き取り1対の

キリスト像を彫り上げた。この像は後に数多のキリスト像の中でも最高傑作の

ひとつとなった。

ミケランジェロいわく 私はあの捨てられた石から神の声を聞いたのだ。

神は言った。「ミケランジェロよ、私をここから出してくれまいか?」

それで私は鎚とノミで神の周りの余計なものを落としたのだ。

私にとっては消極的な仕事だった。ただ余計なものを落とすだけだった。


                    ●

 

13 miyazakiさん 2022/05/29(日) 18:52:51
         古代チベットの経典バルドを語る



バルドはチベットが世界へ果たした最大の貢献だ。それ以外何も貢献していない。

それは貧しい国だ。世界から隔離され世界の屋根と呼ばれかつて辿りつくも大変だった。

チベットは仏教徒の影響から瞑想が発達し、ついには歴史上ただひとつ誰もが瞑想

していた国となった。どの家庭も必ず少なくとも一人は、その用意のあるものは、

ひたすら瞑想するために僧院に送らなければならなかった。それはほとんどチベット

全土が一つの僧院となるほどだった。ちょうどソ連が一つの強制収容所になってしまった

ようにチベットはひとつの僧院となった。山々の中に、素晴らしい場所に何百という僧院が

あった。あらゆる家庭が本当に探究することに関心を持つものを捧げてきた。

そこは道を求めることが尊ばれる唯一の場所、それがこの国全土の生活態度の一部に

なっていた。

14 miyazakiさん 2022/05/29(日) 18:59:51
   バルドは単純な技法だが非常に深い意味がある。

●死を生の絶頂として、自然な現象として受け入れなさい。

●それによって終わるものは何もない。意識を保ち起こっていることを見なさい肉体が徐々に

自分から離れていく様子を

●あたかも鏡が落ちて粉々に砕けていくように、感情、心情、気分、、、自分を

構成していたもの全てが消えていくのを見つめていなさい。


 これを行うのは真のラマ、マスターでなければできない。死を迎えた人がその人生で尊敬

 し、敬い、信頼し愛してきた人を通じて初めて生きたものとなる。そんなラマ僧侶

 たちがかっては沢山いた。


 しかし今や僧侶も市民も虐殺され、僧院は軍隊の施設となりチベットは滅ぼされている。

 日本が仏教の瞑想から禅をもたらしたようにチベットは同じ仏教の瞑想から

 バルドを引き出した。それは彼らの不滅の貢献だ。もしバルドを別のかたちで

 蘇らせることができるとしたら、それはこの国、日本の可能性が高い。
15 miyazakiさん 2022/05/29(日) 19:08:29
             
             ●二つの隻手の音声●

その壱 

弟子はもう何年も隻手の音声とは何か?という問いを与えられていた。

両手で叩けばパン!と音がする では片手で聞こえる音は何か?

空を切る音。我が身を叩く音、、、全て却下され老師は素手で弟子を打った。

そしていつも座禅に戻りなさいと追い返された。しかし弟子は師を恨むことも疑うことも

なく修行を続けた。

その後も座禅を組んでいると風の吹く音がして、これかと思い老師の部屋に駆けつけると障子の

向こうから「違う!座禅に戻れ」と何も言わないうちに追い返され 雨の音を聞いては

駆けつけ 竹の折れる音を聞いては師の元へ走ったが全て違うといわれ打たれた。


 
16 miyazakiさん 2022/05/29(日) 19:13:29


 ある日 不如帰(ほととぎす)が鳴いた。だが不思議と弟子は老師の元へは来なかった。

大いなる静寂が深まっていくばかり、今度は老師が走る番だった。本堂に駆けつけると

 弟子は座っていた。ゆったりと寛ぎ凛ともする仏像のようだった。

 

 「お前は聞いたのだな、隻手の音声を」老師が問いかけると弟子は目を開け何も言わず

 頭を下げ老師の足に触れた。

 「でかした!お前は知るまい、打たれるお前よりもわしの手のほうが痛かったことを」

 と枯れ木のように曲がった手を見せた。そしてその日のうちに老師は息を引き取った。

 

    ほととぎす  けふに限りて 誰も無し


                     ●

   
17 miyazakiさん 2022/05/29(日) 19:43:45
            ○二つの隻手の音声○

その弐 

 老師は弟子の変容を感じとった。昨夜の座禅から戻って以来別人のようになったのを


 その夜 老師は本堂に弟子を呼んで問うた。「隻手の音声とは何か?」

 弟子は応えた「さあ、そんな音は聞いたこともありません。それでは我が師よ

 貴方とその音を分かち合います。そして生きとし生けるもの、森羅万象、全ての存在と

 その音を分かち合います。」

 そう言って片手を祈るように中空に置くと禅定に入った。

 老師も頷くと同じく片手を前に浮かせ目を閉じた

 
  二人が座る深山の寺に天が祝福するかのように白雪が舞い降りはじめ

  やがて全てを真っ白に染めていった。





                    ●



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19 miyazakiさん 2022/06/04(土) 22:04:41
    愚堂禅師

 上皇が禅師愚堂に訊ねられた

 「解脱に至った人間は死ぬとどうなるのじゃ?」

 愚堂「どうして私が知っていましょう?」


 上皇「どうしてって? そなたも解脱に達している禅師であろうが」


 愚堂「その通りです。が まだ死んではおりませぬわい!」


 

 愚堂東寔 (ぐどうとうしょく)

 後水尾天皇や徳川家光、保科正之、中院通村、春日局など多くの公家・武家から帰依を受け

 また、宮本武蔵も青年時に妙心寺にいた愚堂の元へ参禅している。





20 miyazakiさん 2022/06/04(土) 22:59:03
 愚堂はこう言っている

 あなたは 今 生きているのだから それを追求なさい

 死んだらどうなるかよりも 今 自分に何が起こっているかを考えたほうがずっといい

 全身全霊で生きた人だけが死を正しく知ることができるのです


 まずここにある生に出会いなさい もし生と出会うことができたら死とも出会うことが

 できるようになるでしょう

 正しく生きることができる人は正しく死ぬ 全身全霊をかけて生きた人

 豊かな生を生きてきた人 瞬間から瞬間に動き 目覚めて意識して生きた人

 こういう人は死が来ても当然同じように死にむかうだろう その死を生きるだろう

 そういう人は〈現在〉の内にどう生きるか その生き方の本質を知っているからだ

 だから死が〈現在〉になったらそれを生きるだけ


 
 確かに私は禅師でありますが 死んでいるわけではありませぬ

 暫くお待ち頂きたい 私が死にましたら解脱した人間が死ぬとどうなるのか

 改めて御報告いたしますわい




                    ●






 



 




21 miyazakiさん 2022/06/23(木) 20:10:12

          カルロスカスタネダ  戦士の四つの教え

        


          非情さが苛酷さになってはならない 


          狡猾さが残酷さになってはならない

         
          忍耐が怠慢に変わってはならない


          やさしさが愚かさになってはならない




                  ●



22 miyazakiさん 2022/07/02(土) 22:39:58

  ある禅師 八紘一宇を別の角度から語りて


 生は ただの花の寄せ集めに終わることもあれば

 花冠へと変容を遂げることもある

 単なる ばらばらの花の寄せ集めのような生は どんな有機的な統一もない

 それは大勢の「自分が」 大勢の「私が」の寄せ集めにすぎない

 その「私」一人一人が主権争いをしている

 人はそうした絶え間ない内なる闘争のなかに生きている

 どの「自分」も別々の方向へあなたを引っ張ろうとしている

 あなたは常にばらばらにされてしまう


 だが全面的に違った方法で生を生きることもできる

 ばらばらの花を紐で結ぶこともできる

 全てを貫く何かによって 方向感覚や気づき より意識的になることによって

 そうなれば生はもはや偶発的なものではなくなる

 私たちは もはや寄せ集めではなくなる

 生はただの騒音の集まりから交響曲へと変容する


                    ●



23 miyazakiさん 2022/09/25(日) 06:05:12
   戦士へ


☆もしもお前が落ち込まざるを得なくなったとしても それは闘いであり、

言い訳したり自分を哀れんだりすることであってはならない。

戦士は人間の振る舞いの荒々しさを絶えず警戒している。

目前に迫った避けることのできない最期を知ることが、実は真の平静さをもたらす。

普通の人間が犯す最も高くつく間違いは不死の感覚に埋没することだ。それはもしも死について

考えなければ死から自分を守ることができると信じているようなものだ。

死を澄みきった目で見つめることが出来なくては 秩序も平静も美もあり得ないんだ。




24 miyazakiさん 2022/10/10(月) 18:25:43

                  麻三斤

 禅師洞山は納屋で麻を量っていた

 そこへ僧がやって来て尋ねた「仏とは何でしょう?」

 洞山は言った「この麻は三斤だ」




   洞山は禅師になる前、優れた学者だった 経典を熟知し全て詠唱し

   何年も哲学を論じた 

   その洞山が「仏とは何でしょう?」と尋ねたら「この麻は三斤だ」と答える

   こんな非論理的なことがあるだろうか?

   
           つづく

25 miyazakiさん 2022/10/11(火) 22:30:21

 上から続いて

 ところで聖アウグスティヌスがこう言ったという

 「時間がどういうものか知っているが人々に尋ねられると 一体全体

 どうしていいかわからない 答えられない 愛がどういうものか知っているが

 愛とは何か? と訊かれると途方に暮れてしまう 神がどういうものか知っているが

 尋ねられると途方に暮れてしまう」


 アウグスティヌスは正しい そして禅師洞山はまた一味違う正しさだ


 仏 仏性 または神 神性とは何か?と訊かれ その時量っていた麻を指し

 この麻は三斤だ と答える




             つづく





 
26 miyazakiさん 2022/10/12(水) 22:18:16

 禅師たちは瞬間に生きる あなたは尋ね 彼は応える

 しかし彼には固定した応答が全くない 彼こそが答えだ

 彼の実存の全てが対応する

 仏陀とは瞬間瞬間を生きるものであり 過去に生きず未来に生きず
 
  今ここに生きるものだ 仏性とは今ここという現在に在る質だ

 この僧が「仏とは何でしょう?」と尋ねたとき 洞山の実存において

 三斤が現実だった 彼は麻を量っていた この瞬間において麻を量ることが発生し

 麻は三斤ということが発生し 彼はただ言った 「この麻は三斤だ


 表面的には不合理に見える 別の時 洞山が穴を掘っているときに

 あなたが「仏とは何でしょう?」と尋ねたら彼は答える

 「この穴をごらん」

 「用意ができた 木を植えよう」

 また別のとき 洞山が散歩に行こうとしているときに

 あなたが「仏とは何でしょう?」と尋ねれば

 「この杖」と答えるかもしれない

 何であれ この瞬間にあるものが答えとなる

 

                     ●





 

 
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28 miyazakiさん 2022/10/16(日) 13:57:40
             

              ある禅師かたりて

  

     無私で無ければ全身全霊は起こらない

     それは、あたかも自分がそこにはいないほどの激しさだからだ

     自分がいれば その激しさは完全にはなりきれず 二つが存在することになる

     美しく激しいものが起こるとき 人は自分自身を完全にそこへ持っていき

     他の全てを背後にして死ぬ


     何かに向かって深く進むとき 人生は表面にあり 死が中心に来る

     桜を見ることでさえ 完全に花を見ることのなかに全てを忘れれば

     花のなかに死ぬ 同化することを経験する 融合することを経験する

     突然、自分が自分で無く ただ桜であることを感じる




                    ●











29 miyazakiさん 2022/10/17(月) 22:19:29
               禅の茶をかたりて

 生命は食物を通して入ってくる だから思考が沈黙するほどに食べ、

 飲みなさい 生命は水を通しても入ってくる 水は渇きを癒す

 水と共に動きなさい 水が自分の渇きに触れ 渇きが消えるのを

 沈黙し 見つめなさい 一杯の茶を飲むのに どうして無駄話ができよう

 暖かい生命が自分の中を流れている それに満たされ 敬意を払いなさい

 日本に茶道が存在するのはそのためだ お茶 全く平凡なもの

 日本人はそれを非常に神聖な地位にまで押し上げた

 茶室に入るとき人々は完全な沈黙を保つ あたかもそこが寺であるかのように

 茶室のなかに静かに座り やがて熱せられた茶釜が歌い始め無数の歌を歌い続ける 

 誰もがそれを静かに聞く これは生の真言(マントラ)そのものだ

 そして茶が注がれ 人々は茶の香 香気を聞き 感謝で満たされる

 茶の味わい 暖かさ その流れ 

 自分自身のエネルギーと茶のエネルギーとの溶け合い

 それは瞑想となる

 全てをかけて激しく生きるとき 全てが瞑想となる

 そのとき、自分の生命が完全になる



                    ●






 

 
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33 miyazakiさん 2022/10/26(水) 18:56:35
         幕末・明治の禅師 獨園

 山岡鉄舟がまだ若く生意気な盛りのころ 禅師の獨園(どくおん)を尋ねた

 山岡は自分を印象付けようとして こう言った

 「思考は存在しない 肉体も存在しない 仏陀も存在しない

  より良いものも無ければ より悪いものも無い 師もなく弟子もない

  与えることはなく 受け取ることもない 我らが見ること 思うこと

  感じることは真実ではない これら見せかけのものは全て存在していない」


  獨園は煙管で一服 (-.-)y-~ しながら静かに座っていたが突然、

  傍らの杖を振り上げ山岡を強打した 

  山岡は怒りのあまり飛び上がった 獨園は言った

  「このような物事のどれひとつとして実際に存在するものはなく

  全てが空(くう)であるなら お前の怒りは何処から来るのだ

  考えてみるがよい」



                         つづく

34 miyazakiさん 2022/10/26(水) 19:06:34
  
  山岡が語ったのは仏陀の最も深い教えなのだが 覚えておきなさい

  最も深い言葉を完全に繰り返すことができても人はやはり愚かなままだ

  この時 山岡は愚かだ 彼は仏陀と全く同じ言葉を繰り返した

  言葉は人の存在を媒介する 仏陀がこの言葉を語るとき それは異なる意味

  異なる芳香を持つ この言葉が仏陀の持つ何かを 仏陀の存在を媒介する

  仏陀の香気 風情 内なる存在を媒介する 内なる調和の妙音が

  この言葉によって伝えられる

  だが山岡がこの言葉を繰り返すとき それは命を失い 陳腐で 何の香気も無い

  伝って来るのは山岡と彼自身の悪臭だ 


  獨園は状況をつくりだした 状況だけが正体を明かす

  獨園は「あなたの言ってることは全て借り物だ」と言うこともできた

  だが話し合い、論争では この若者の眠りをさらに助けることになると覚え

  この一撃を与えた

  杖で強打された山岡 あまりに突然だったために対処の仕方を考えることが

  できなかった 突然の不意の一撃のために山岡の仮面が滑り落ち

  本当の顔が現れた ほんの一瞬怒りが現れただけで真実が現れた




                      続く

35 miyazakiさん 2022/10/26(水) 19:10:24
 

 獨園は真に賢明で慈悲深い禅師だ 話し合いだけなら山岡をここまで

 導くことはできなかった 獨園の行いは 知識から〈在ること〉に向かうことを

 山岡にもたらした

 状況が必要だったのは その人がどのような状態にあろうと 状況とは突然に

 その人をありのままにするからだ それ無しで対話をしたとしても無駄なものだ

 山岡は仮面のままだ 獨園の一撃で覚者は消え去り山岡が現れた それは怒りだった

 獨園は言った

 「仏陀について語るなかれ 真実について語るなかれ 実在について語るなかれ

  この怒りについて そしてそれが何処から来るのかについて考えよ」



                    ●





36 miyazakiさん 2022/10/26(水) 19:19:08

               お詫びと訂正

             獨園は どくおん でした。

 朝日新聞なみのお詫びと訂正をいたします
37 miyazakiさん 2022/10/29(土) 09:56:53
      獨園と山岡鉄舟の逸話に ある禅師ひとこと

 怒りとセックスは同じものだ 美しい怒りがあれば 醜い怒りがある

 美しいセックスがあれば 醜いセックスがある

 それを決めるのは自分自身だ  

 獨園に強打されてブチキレた山岡は美しくない もちろんこのあと山岡は

 自分の醜さに気がついたわけだが

 因みに禅師だけが解脱した後もタバコを吸える者がいる

 世界の宗教 瞑想体系からしても禅宗だけだ 

 タバコとセックスは残すが酒は落ちる LGBTの覚者もいない

 とある禅師はLGBTはこの道を行くには内的葛藤の問題でとても不利だ

 と言っていた




                 (-.-)y-゜゜゜



38  [Delete]
39 miyazakiさん 2022/11/01(火) 18:30:31

    美しいセックスとは何か? と言う電波が飛んできたので書いておく

    それは恋愛とは関係無い ひとつの例として

    「日本の兵隊さんは私たちに優しかった」という従軍慰安婦の証言

    もちろん全部が全部ではないだろうが


    あの胸のつぶれる

    据えた臭いの

    性の修羅場で

    人間と獣の境目で

    女に優しいと言わせた日本兵って何なんだよ

    

                    ●




  
40 miyazakiさん 2022/11/01(火) 20:39:31
        

         師を殴って悟った弟子  漸源

 
    在家の葬式に禅師道吾が弟子の漸源を連れて見舞った

    弟子は棺をポンと叩いて師に尋ねた

    「この人は本当に死んでいるのですか?」

     師は言った「言うまい」

     弟子は答えを強要した「それで?」

     師「言うまい もう何も訊いてはならぬ」

     寺への帰り道 怒り狂った弟子は師に食ってかかり脅した

     「答えないのなら師よ あなたを殴ります」

      師「よかろう 殴るがよい」

      弟子は師を激しく平手打ちにした

 
    しばらくして禅師道吾は亡くなった

    まだあのときの答えに拘っていた弟子は 禅師石霜を尋ねた

    そして以前の出来事を話し 同じ質問をした

    石霜は あたかも亡くなった道吾と共謀しているかのように何も言わなかった

   「何たることだ、また同じか!」弟子は叫んだ

   「言うまい」 石霜は言った 「もう何も訊いてはならぬ」

    
    その瞬間 弟子は覚醒を経験した




41 miyazakiさん 2022/11/03(木) 09:02:20

  上から続いて


 さて 質問した人間が答えを受け取る用意ができているとは限らない

 誰でも質問はでき 子供でさえ賢者も答えられないような不思議な質問を

 することができる 問いを形にする明晰さを持っているからといっても

 答えを受け取る用意ができているとは限らない なぜなら問いは実に多くの

 源から発せられるからだ 偶然に問い 特別な興味もなく 答えを何かに

 用いようというわけでもない 好奇心はそのひとつで それは幼稚だ

 それに対し無駄な言葉を費やす師などいない

 人はより多くの知識を得たいために質問する しかし自分自身の存在には

 影響を与えないのなら師は相手にしない

 問いの内容が生死に関わるような物事のとき 人は答えを求めて

 その存在全体が飢餓に陥る 渇望し 存在全体が答えを受け取る準備ができる

 そして答えが与えられたとき 人はそれを噛みしめ それが血となり肉となり

 心臓の鼓動そのものとなる

 師が答えを与える準備をするのは こういう時だけだ


 

42 miyazakiさん 2022/11/03(木) 16:14:28
 世界中どこにあっても死者に敬意を払うときには沈黙する

 一分から二分間の沈黙を保つ 何故なのかはわからない

 この伝統は世界中で保たれている それは神秘的だと言える

 
 弟子は「この人は本当に死んでいるのですか?」と訊いた

 質問は正しいが状況は正しくない

 今は死と共にあるべきときなのだ 亡くなった人を前にしたら

 いつでも瞑想的であるべきだ そこは名前のない寺院であり

 神聖な場所なのだ 幼稚であってはならない

 
 帰り道に弟子は答えてくれなかった師を平手打ちにした

 だがこれは弟子が本当に師を信頼しているからのことだ

 誰彼構わず殴れるものではない 師もまた弟子を愛している

 「よかろう 殴るがよい」

 弟子は弔いの場で恥をかいた 大勢がこの弟子は馬鹿だと周りは思った

 弟子は親に抗議する子供のように師を叩き 師はそれを受け入れる

 しばらくして禅師道吾は亡くなった 弟子は混乱しただろう

 そして石霜禅師を尋ね 同じ質問をした 師は答えず 弟子はまた激怒する

 だが石霜は殴れない 直接の師ではないからだ 

 「言うまい もう何も訊いてはならぬ」 謀ったかのように 二人の師は

  言葉を同じ繰り返した


 







 

 

 

 
43 miyazakiさん 2022/11/03(木) 19:52:40
  



   この瞬間 稲妻が走った 弟子は最初の機会は逃したが二度目は逃さなかった

  「私は間違っていた そして私の師は正しかった 答えてくれなかったので

  私のエゴは傷ついた だが 私がその質問のなかに全く存在していなかったのだ」

  
  
     道吾が状況をつくりだし石霜がそれを満たした

   二人の師はこう言っているのだ 「死の前では沈黙せよ 何も問うな

   死を知りたければ死ぬのだ 生を知りたければ生きるのだ」

  




44 miyazakiさん 2022/11/05(土) 22:34:18

                ある禅師 かたりて

 「悟り」とは禅独特のものである 他の言語に「悟り」に相当する言葉はない

 それは三昧(ざんまい) サンスクリット語でサマーディのサンプルと言える

 パタンジャリはこう言うだろう「それは ありえない 三昧は普通ではない

 三昧は大いなる努力の末に 無数の生を経てやって来る 」


 三昧は まさに真夏の白日  そして悟りは闇夜に走る稲妻

 暗闇に突然稲妻が走り 一瞬 世界が見える

 連なる山々の姿 谷の深さ 道が延びる方角 そしてまた全ては闇に戻る

 だがサンプルを得られることは美しい それは大いに助けになる

 
 蛙が古池に飛び込み 稲妻が走った

 無心に弓を引くとき 何かが閃いた

 無心に刀を構えたとき ゲシュタルトがかわった

 その閃きが悟りだ だがこれが最後ではない またそれを失うこともある

 悟りによって覚者・仏陀になることはできない

 だが悟りによって二度と同じ自分ではなくなる

 悟りは信頼を与え 動きを起こさせる

 最終の光明に向かって それが三昧だ




                      ●








 



 



 

 
45 miyazakiさん 2022/11/11(金) 23:09:54
 

          墨絵のような古いフィルムの

     

          笑顔で特攻機に乗り込む英霊たちが令和に問いかけている

     

         「 本当に生きているのはお前か? それとも俺か?」










   

           




46 miyazakiさん 2022/11/19(土) 00:06:02

    ある禅師かたりて  中世インドの覚者カビールの詩

 ヘラット  ヘラット ヘイ サキヒ、 ラフヤ カビール ヘライ

 
 友よ 愛しき人よ 

 私は自分を探して出かけた

 ところが奇妙なことが起こった

 自分を見つけるかわりに

 一滴の滴(しずく)が海に落ちて消える如く

 私は消滅してしまった

 ブンタ サマニ サムンダ メン ソ カット ヘリ ジャイ

 大海のなかに消えてしまった

 どうして再び見つかることがあろうか




 時は流れカビールは死の直前 息子カマールに手直しを頼んだ

 最後のところをひっくり返しておくれ 

 
サムンダ サマニ ブンダ メン

 大海は滴(しずく)のなかに落ちて消滅した



 今わかった このほうが正確だ 真実だ




                    ●








 





 
47 miyazakiさん 2022/12/01(木) 22:45:18
               カビールのおまけ

 カビールは言った

 「さて 困った 神と導師  全存在と我が師が私の前に立っている

  どちらに先に挨拶すべきか? どちらに最初に額ずくか?」と


  そして彼はこう言った

  「神よ お許しを 最初は師の足元へ行かねばなりません 私にあなたを

   見せてくれたのは彼なのですから 私は彼を通してあなたの元へ参りました

   申し訳ありませんが まず師の足に触れなければなりません」




                






                  
 

  
48 miyazakiさん 2022/12/03(土) 22:11:59

          ある禅師かたりて 技能について

 行為は技能を要する が 非行為もまた技能を要する

 非行為の技能は人から教わることはできないし教えることもできない

 それはあなたが成長するに従って成長する それは開花だ

 外側からは何もできない 内側から進化していかねばならない

 行為の技能は外からやって来て内へと入り 非行為の技能は内からやって来て外へと

 流れていく その二つの次元は完全に異なっている





                   ●



 



 
49 miyazakiさん 2022/12/03(土) 23:13:53
   ある禅師かたりて インドと日本・中国の違い

 インドでは瞑想が困難を引き起こしてしまった 修行するものは

 店にはいけない 事務所にはいけない 工場で働くこともできない

 何百万人もの修行者がただ瞑想しながら存在していた

 乞食行でそれこそ生産性が無い 国民全体がそうなったら国は滅ぶに決まっている

 彼等は社会の重荷となり それは実にひどい重荷で社会は何とかしなければならず

 インドでは仏教は絶えてしまった 何百万人もの彼らを養うわけにはいかなかった

 インドは我慢強い国だ インドは何にでも耐える だが限度はある

 貧乏なこの国にとって 何百万人もの僧侶を扶養するのは不可能となった

 一方 中国・日本で仏教は残った それは仏教が変化を遂げたからだ


         続く






 

 
50 miyazakiさん 2022/12/04(日) 23:17:59

 1970年の時点で 一千万人のサンニャシンがインドに存在している

 もはや彼らに対する尊敬はない 一千万人の中で尊敬を得ている者は

 十人もいない 他はただの乞食になってしまった

 何故なら宗教が生になると 残るものは宗教だけとなる すると人は生の全てを捨て

 放棄してしまう この態度ゆえに 昔からインドの瞑想というものは

 反生的 アンチライフだった 

 中国・日本の禅仏教は生を放棄するという考えを捨てた

 逆に生を瞑想の対象にしてしまった 禅僧は草を刈り 畑を耕し 麻を計り

 自ら骨を折って生活する 中国・日本では様々な技能が 色々なことが

 瞑想をサポートする助けとして その対象として使われるようになった

 色々な物事が神への道だという考えだとも言える

 武道も茶道も 大工も料理人も 自分の生業が神と人を繋ぐと考える

 商人も帳面と算盤を神棚に上げて清める

 それ故 神道にはそんなに決まった修行方が無いのかも知れない



 

 

 

 
51 miyazakiさん 2022/12/11(日) 17:59:08
       ある禅師つぶやいて  W・ライヒ著 「聴け 小人物よ」

 

 そしてこの本が生まれたのは、彼の利己主義からではなかった。彼にはそれをどうすることもで

 きなかった 彼は書かなければならなかった それはほとんど女性が妊娠するのに似ている

  子どもを生まなければならない。それを書く(産む)という考えに抗して、彼はその小さな本を

 何年間も自分の中に止(とど)めていた。それを書けば自分にとって地獄になるだろうというこ

 とがよく分かっていたからだ・・・・そして確かにそうなった。その本を書いた後では、彼は

 あらゆる方面から非難された。






 

   
52 miyazakiさん 2022/12/18(日) 23:21:20
       ある禅師かたりて  だるまさんが転んだ?

インドからボーディダルマ(達磨大師)が中国にやって来た

 時空が捻れて高山正之がこの時代のアヘン街道にいたら達磨に会っていただろう

 Ch桜・別館で葛城奈海相手にこんな風に語ったことだろう

 「達磨って変なやつでね インド人だから肌の色が違うし目立つんだよ中国じゃ

  どっかの国の第三王子なんだけど まああの辺りは道が悪いから転ぶのはわかるけど

 片方の足は裸足でさ そんで沓(くつ)は頭の上に乗せてんの それで皇帝の宮殿へ

 行ったからさあ大変」

 そう皇帝は乱れる心を押さえて達磨に尋ねた

 「こ、これは余りに無礼ではないか 皇帝の私が 国全体が笑い物になる」





  
53 miyazakiさん 2022/12/19(月) 21:16:19
 皇帝「 もっと聖人らしく振る舞うべきではありませんか?」


 達磨「聖人でない者だけが聖人らしく振る舞うのです 私が聖人らしく振る舞う

   必要はありません」


 皇帝「しかし 頭に沓を乗せて歩いたら道化にように見えますぞ!」


 達磨「如何にもその通り 全て目に見ることのできるものは道化 

   皇帝よ 皇帝の衣を纏い王冠を戴く これもまた道化 そしてただこの事を

   貴方に伝えるために私は沓を頭に乗せて参り申した これは全て演じもの 道化

   真実なるものは表面には無い」


   

    皇帝「・ ・ ・ ・」

 
   

    達磨「私は沓を頭に乗せることで こう言っておるのです 〈生〉にあっては

      聖も俗もいっさい無く たとえ沓でさえ頭と同じく神聖なものだと

      私はこの沓を象徴として運んでおるのです」

 

    皇帝は強く感銘を受けたがこう言った

    「あなたは大変な人だ 私の手に余る、、」








      

  
54 miyazakiさん 2022/12/21(水) 22:35:26
               ある禅師かたりて

               禅師が戦士をかたる

 戦場で戦っている兵士は悲惨で惨めだろうとあなた方は思っているだろうが

 それは違う 惨めだったら誰も戦おうとはしないだろう

 むしろ実際はその逆だ ベトナムやその他の帰還兵士のレポートにもある

 日常の世界に戻ると彼らは惨めになる

 戦場で 前線で戦っている間は惨めではない 不幸は全て消え去る

 死が余りに近くにあることで 彼らは生まれて初めて生きている感じを抱く

 その生き生きとした感じは死が近づくにつれますます強くなる

 周り中が砲撃にさらされ 銃弾が飛び交い いつ死に襲われるかわからない

 そんな瞬間 一種の恍惚感を覚える それは〈生〉とこの上ない深い接触を持つからだ

 死があなたに接吻するとき それは同時に生の接吻でもある

 だからこそ冒険や勇敢な行動などに あれほど強い魅力があるのだ


 それゆえに偉大な戦士たちはかならず瞑想に関心を抱く


 



 
55 miyazakiさん 2022/12/21(水) 23:10:26
 ここでインドに起こり日本で起こったある現象について語ってみたい

 それは戦士を生み出す国ならどこでも起こる現象だ

 インドにおける偉大な瞑想者はクシャトリア階級 つまり士族たちであって

 ブラーミン(バラモン)僧族階級ではない これはおかしな感じがするだろう

 僧族たちこそ偉大な瞑想者であるべきなのに 

 彼らはウパニシャッドやギータ ヴェーダなどの解説をものにしてきた

 彼らは形而上学をつくり上げてきた 世界が生んだ最大の形而上学者だ

 言語表現に関して 論理に関してはブラーミンに比較できるような人たちはいない

 彼らは実に巧妙な人たちだが決して偉大な瞑想者ではない

 仏陀(釈迦)は偉大な瞑想者だ 彼はクシャトリア(戦士の長 王族)だった

 マハヴィーラは偉大な瞑想者だ 彼はクシャトリア 戦士階級だった

 ジャイナ教の24人のティルサンカラも戦士だ

 そして日本にはサムライが存在していた 世界がかって知った最高の戦士だ

 戦士としての存在の究極的な可能性だ 

 彼らサムライが日本にたどり着いた禅を育てた



56 miyazakiさん 2022/12/25(日) 12:55:48
                ある禅師かたりて

                  白雲の道

     瞑想に目的などあり得ない 瞑想とは基本的に

     精神の動きがいっさい無い状態を意味する

     あなたが〈今〉〈ここ〉に ただ在ること それが全てのゴールだ

     禅師たち  チベットの神秘家たち スーフィの修行僧たち

     彼らは空に浮かぶ白雲を語っている

    「 時間というものは無く  白雲は空を徘徊する 

    白雲は征服者ではない それでいて全ての上を徘徊する

    一瞬一瞬が十全に永遠」 


 覚者は言う 「〈生〉は問題と見なされるべきではない ひとたび そう解してしまったら

  あなたは負けだ ひとたび〈生〉を問題だと考えたなら それは決して解決できる

  ものではない」    〈生〉は問題ではない 〈生〉は神秘だ

  瞑想とは

  その神秘の前に己を溶解させること

  その神秘の前に己を滅して空になること

  その神秘の前に己を散らせること

  そして神秘とは あなたが〈なり得る〉何かだ




                   ●












 


 

     
57 miyazakiさん 2022/12/27(火) 22:47:43
              ある禅師かたりて

              雪達磨(ゆきだるま)

 中国で年老いた達磨は臨終の地としてヒマラヤを目指そうとしていた 

 ヒマラヤは身を隠すに最高の地 完全なる静寂 融けることの無い永遠の雪

 誰も足を踏み入れたことのない数多の場所がある

 中国を去る前に四人の弟子を呼んで尋ねた

 「私は去っていく これ以上この肉体にとどまることはできない

 間もなく私の意識は その翼をひろげ去っていくだろう それが起こる前に

 ヒマラヤへたどり着きたい お前たちに尋ねるが 私ダルマがインドから中国へ

 やって来た真意は何か?」

 一人めが答えた

 「ゴータマ ブッダの深遠な体験をひろめるためです」

 達磨「間違いではないが まだまだ お前は私の皮膚にすぎない」


 二人め「あなたが中国へ来られたことで内奥の実存で起こる無意識から意識への

 変革そのものがもたらされたのです」


 達磨「少しましだが  まだまだ充分ではない お前は私の骨にすぎない」



             続く









    
58 miyazakiさん 2022/12/28(水) 23:33:44
 三人め 「あなたは言いえぬことをひろめるために来られたのです」

 達磨  「前の二人より はるかに良い だがそれについては何も言えないと

     言うだけで 既に何かを言っている お前は私の肉を得た」


   そして四人めは ただ涙を浮かべ喜びと感謝から達磨の足元へ

   崩れるように伏した 何も 一言も言うことができなかった


 達磨「お前は私の髄を得た 他の者が言葉では表せなかったことを

   お前は涙で表した 深遠な含みを持つ言辞でも言えなかったことを

   お前は感謝で言い表した」


        そして達磨はヒマラヤでゆきだるまになるために出発した







 
                   ⛄



59 miyazakiさん 2022/12/29(木) 22:57:31
            荘子の明鏡止水

  ✴ 荘子』の徳充符篇より。「人は流水ではなく止水こそ鏡とする。不動の心を持つものこそ

    が、安らぎを求める人にそれを与えることができる」という意味

          
     
   瞑想に目的などあり得ない 瞑想とは基本的に

   精神の動きがいっさい無い状態を意味すると白雲は言う

   思いを巡らすことは あたかもさざ波 波のようなものだ

   それは常に 人の思考を波立たせる 

   そして思考が波立っていれば 月を映すことができない

   それは波立つ湖のようなものだ

   天高く 月はそこにあるが湖はその月を映すことができない

   が、ひとたび波が完全に静まれば 湖は鏡のようになり

   月が、その輝きと共に映し出される 

   そして湖に映し出される月は実際の月より遥かに美しい

   何故なら 湖が 月の美しさに 輝きに

   さらに何かを加えるからだ

    

     



  




 
 
60 miyazakiさん 2022/12/29(木) 23:59:49

 そして真理にも同じことが言える 

 人が完全に沈黙し 真理を映し出すとき

 そこには何かが加わる

 覚者の意識に映し出されるとき 真理は豊かさを増す

 覚者が真理に感謝しているだけではなく

 真理もまた覚者に感謝しているのだ


 東洋では昔からそう言われてきた 




                    
                     ●



61 miyazakiさん 2023/01/07(土) 23:25:15
 
  タッカー N キャラウェイの追想録より(Zen Way, Jesus Way著者)


 私は夕暮れに古都京都の禅寺 南禅寺の広々とした庭を散策していた

 頭上では蔦に覆われた用水路の煉瓦造りの細い溝を水が勢いよく流れ

 大きな松の梢からそよいでくる風と混ざりあっていた

 松葉を焼く匂いを味わいながら私は夕闇の奥に赤く輝く小さな焚き火の方へ

 進んでいった 墨染の衣を着た雲水が熊手を使って砂をきれいに整えていた

 
 時のない満ち足りた沈黙のあとで私は彼に話しかけた

 「あなたはなぜ禅をするのですか?」

 「この煙になるためです」と彼は応えた


           すべてが語られている




                     ●






62 miyazakiさん 2023/01/07(土) 23:53:41

  完全な知性の人は花になる かの人は〈今 ここ〉を生きる

  かの人には過去がない かの人には未来がない

  過去も未来も持たないがゆえに現在に生きているとも言えない

  現在とは過去から未来にかけて起こる動きの中継点にすぎないからだ

  過去と未来が消えると現在もまた消える あとに残るのは〈時間のなさ〉だ

  〈今〉とは時のない瞬間だ それは永遠だ

   仏陀はそれを瞑想と呼んでいる





                    ●




63 miyazakiさん 2023/01/18(水) 20:44:23
  禅の時間      桃水禅師のお話

 桃水禅師は寺を黙って出ていき行方知らずになりました

 弟子たちが苦労してあちこち探していると乞食たちのなかにいる桃水を

 見つけました そして弟子が 「私も師のそばで修行させてください」と言うと

 別の禅師の名前を出し「この禅師の元で命を懸けて修行しなさい 私のことなど

 忘れるがよい さすれば さすが桃水の弟子と呼ばれよう」


 乞食や肉体労働者として生涯を過ごした桃水 おんぼろな掘っ立て小屋に住んで

 いると知り合いの男が「小屋のなかにこれを掛けなさい でないとキリシタンと間違われて

 役人に連れていかれるぞ」と阿弥陀如来の掛け軸を無理矢理置いていった

 すると桃水は「やれやれ ┐(´д`)┌ 」 と言いながら消し炭でこんな詩を

 掛け軸に書いた


        せまけれど  宿をかすぞや 阿弥陀どの

        後生頼むと 思し召すなよ


   せまい所ですが 宿をお貸ししますよ阿弥陀さん

   でもね何か願いを叶えてと頼むような下心はありませんよ

   

   流石 桃水 本物は違うねえ


 




                     ●








64 miyazakiさん 2023/01/22(日) 18:12:33
 禅の時間   西郷どんの師は無三禅師

 へえ 私も知らなかったが西郷隆盛も青年期に禅師の元へ通っていたのか

 大山巌の回顧録に朝早く禅師の所へ行く西郷たちの事が書かれているそうだ

 もっともどうやって逃げ出そうかという企みがバレて怒られたなんて話もある

 さて無三禅師は薩摩久志良の百姓の出 当時百姓は出家できず無三は

 士族の名をかりて出家していた その事を知った南林寺の和尚は島津の殿様に

 問答を仕掛けて無三禅師を試すことを進言

 そして島津公の元へやって来た無三に「如何なるかこれ久志良の土百姓」と問うた

 当時薩摩では百姓は蔑まれることが多かった

 この奇襲攻撃問答に無三は少しも乱れることなく応えた

          「・・・泥中の蓮華・・・」

 島津公はこの応えに深く感銘を受け 無三に帰依したという



 ★蓮華は仏陀の蓮の花の教え 大悟解脱を表す

  根は深く地獄の泥にありながらその花は中空で水に触れることもなく咲いている

  解脱とは蓮の花のようなものだと




                    ●





               
65 miyazakiさん 2023/01/28(土) 21:21:23

               禅の時間   大梅禅師

 大梅が馬祖に尋ねた 「仏とは何でしょうか?」

 馬祖「仏とは現在の心だ」

 これを聞いた大梅は大悟して山中に引きこもると何年も、季節の変わる山々をただ

 眺めて暮らした ある日、馬祖は大梅を試そうと使いの僧を送った

 僧「あなたはただ一度馬祖禅師に会っただけで大悟されましたが いったい

 どんな言葉で悟られたのですか?」

 大梅「現在の心が仏」

 僧「今では馬祖禅師の教えは違います」

 大梅「では 何なのだ?」

 僧「馬祖は今や 仏であるこの心そのものは 心でもなく仏でもない と言って

   おられます」

 大梅「あの老漢め! いつになったら人の心を惑わすことをやめるのだ?

    あのクソじじいには  心でもなく仏でもないと言わせておけ

    私はこの 現在の心が仏だ を曲げるつもりはない!」


  使いの僧は寺に戻って馬祖にこのやり取りを報告すると馬祖は大梅を評して言った


  馬祖「・・・梅の実も熟したとみえる・・・」





 
 
66 miyazakiさん 2023/01/28(土) 22:06:30
 馬祖の教えは六祖慧能の根本的な洞察に近しく従うものだった

 とりわけ「心より他に仏はない」という教えにおいて


 この「心」という言葉は思考 感情 情緒 執着でいっぱいの心である

 しかしその同じ「心」が〈空〉にもなり得る

 心が〈空〉になった瞬間 心と無心の間には何の違いもなくなる

 だから混乱する必要はない 何人かの師たちがその言い方を用いている

 「現在の心には全てが含まれそこにはブッダさえも含まれる」と

 だが条件はその心が空になることだ そうなれば心そのものがそのままで

 ブッダになる

 釈迦自身の言明は意味深い 彼は言う「まさにこの身がブッダ まさにこの心が

 蓮の花の楽園だ」だがその一方で彼は絶え間無く「あなたは肉体ではない 

 あなたは心ではない」と言い続けている ではこの矛盾を通して いったい彼は

 何を言おうとしているのか?

 

 



 
67 miyazakiさん 2023/01/28(土) 22:50:37
      ちょっと わき道へ行こうか 心配するな変な所には連れて行かない

 

   言っておくが大梅は新人ではない 様々な師の元へいき命を懸けて修行してきた

   例えるなら充分な火薬を背負った爆弾だ そして師は信管だ

   だからこそ「現在の心が仏」 この言葉だけで爆発 大悟したのだ

   蛙が水に飛び込む「ポチャン」という音で点火した日本人もいるし

   信管は不足してはいない何とかなる 大悟しないのは爆薬が足りないのだ根本的に


   
   島津の殿様「如何なるかこれ? 久志良の土百姓(どんびゃくしょう)!!」


   無三禅師「 泥中の蓮華  泥多ければ仏大し  」


   島津の殿様「帰依いたします あなたの弟子にしてください」







   

 
68 miyazakiさん 2023/01/29(日) 17:16:23
          本道に戻って

 釈迦はこの矛盾を通して何を言おうとしているのか?

それは「あなたが肉体と同化しなければ まさにこの肉体が世間にある全てと同じく

   ブッダになる   心が〈空〉のなかに消え去れば まさにこの心が大空と同じ

   広大なものとなる」

 釈迦は自己矛盾を言っているのではなく 真理を指し示すために矛盾対立した

 言い方を用いているにすぎない


大梅「あの老漢め! いつになったら人の心を惑わすことをやめるのだ?

    あのクソじじいには  心でもなく仏でもないと言わせておけ

    私はこの 現在の心が仏だ を曲げるつもりはない!」

  
 大梅は馬祖が表現を肯定から否定に変えたことをはっきり理解した

 凡庸な者なら惑わすこともできるが大悟、解脱、光明を得た者を

 惑わすことはできない

 
 
69 miyazakiさん 2023/01/29(日) 17:29:05

 ここで もし大梅が馬祖に同意していないと考えるなら あなたは理解していない

 大梅は完璧に馬祖に同意している それが同じ意味であることを理解している

 単にその表現を肯定から否定に変えただけ 表現が変わっただけで表現されているものは

 同じだ

 だから大梅は言う「あのジジイには好きなことを言わせておけ 私はこの

 〈現在の心そのものがブッダである〉を飽くまで通すぞ


 師である馬祖はこの報告を受けて言った


  「梅の実も熟したとみえる」




                    ●


70 miyazakiさん 2023/02/04(土) 01:21:51
    回小禅師   戦うことの効能

 戦う 争う と言った言葉にすぐ眉をひそめたり その上っ面の言葉に

 なんの内省もなく ただ嫌悪するのがゾンビであり、エセ平和主義です

 そのくせ自分の家庭はボロボロな者が本当に多いです

 「みんな仲良く」って口で言って刑事事件沙汰になりそうだった夫婦なんて

  ものもそうです

  で、私が掲示板の中に見ているのは その人の「戦い方」です

  その人がどういうものと どういうふうに戦ってきたかが文のひとつひとつから

  見えてくること べつに戦うような文でもない雑話のなかにもちゃんとそれは

  現れます

  そして戦うというのは動物として当たり前のことであり

  色々な能力を引き伸ばすものであり 

  また自分について知ることの学習でもあり

  その恩恵は計り知れないということ


  むろん 無駄な戦いも多くあります

  しかし戦うということにネガティブなイメージしか持てなかったり

  それを避けようとしてしまう人というのは 

  そこから何も学ばない 不毛なケンカを繰り返してきたか

  何も生まれない不毛な「なーなー」を繰り返してきたかのどちらかです


               


  

71 miyazakiさん 2023/02/04(土) 02:01:02
 肉体的に戦うということが身体能力を伸ばすように 言葉や思考で戦うということは

 特に対人関係の中で結果的には 本当に自分に必要なパートナーを

 探し出せる大きな力になります だってそんなの当たり前でしょ?

 私は、連れ添うのに理想的なのは「戦友的な人」であるといい

 共感した人も沢山いましたよね では その人と出会うのは一体どこになりますか?

 それは正しく「戦場」ですよ あなたが戦っている時 その時にこそ

 そばにいる「誰か」です


 戦友というのは和気あいあいとした中で見つかるものではありません

 戦っているときこそ その人の真の姿が出ますから

 何故なら命がかかっているからです いろいろな意味で





72 miyazakiさん 2023/02/04(土) 19:35:50
 この世界は保育園から老人ホームまで非戦闘地域なんてありません

 平和的であることを他人に擦り付ける者がこれほど多いと言うのは

 裏を返せば この世界がもとより いろいろな次元での争いに満ちている

 という大前提の中で その当たり前の事実を見ないで避けたいと思うやからの

 うわ言なのだと思います

 戦うということは戦う技術だけを発達させるだけに留まらず

 仕事 対人関係 状況判断 戦友の選び方 情けのかけどろと斬りすてどころ

 パワーの配分 自己管理 そして愛し方と 人間としてのあらゆるものを

 調整したり内省することのできるチャンスなのです




                  (-.-)y-~





 
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75 miyazakiさん 2023/02/12(日) 22:36:26
             

 西洋は歴史の言葉で考え 東洋は神話の言葉で考える

 歴史は事実に基づくものであることに対し 神話やたとえ話は真実に基づく

 事実は特定の場所 特定の時間に起こる 事実には限界がある 一時的なものであり

 時間上の出来事だ 

 真実は永遠なるもの その表現も時間上のものだが にも関わらず時間の制限は

 受けていない だから東洋の人たちはラーマやクリシュナの正確な歴史が無いことを

 全く気にしたことがなかった 東洋にあるのは物語だ 西洋的な見方をすれば

 それは ただのお話であり空想にすぎない 確固とした証拠が無いからだ

 釈迦の正確な誕生日でさえ突き止めるのは難しいが東洋の我々は気にしない

 我々は釈迦の仏陀の悟りの境地を問題としきた 「悟り」と釈迦の自分史と何の関係がある?

 仏陀の彫像を造る際 それが仏陀に似ているかどうかに関心を払わなかった

 この事にも注意を払いなさい 仏陀の彫像は仏陀を見ながら彫られたわけではない

 仏陀の彫像はあらゆる覚者の本質を表すために造られた

 我々が彫像に投じたものは あらゆる覚者の本質の集積だ
                    











 

 
76 miyazakiさん 2023/02/23(木) 00:26:04
               食についてのコラボ

   レバノンの覚者

  植物のように太陽の光を浴びて人も自ら栄養素をつくれるなら

  この広大な宇宙にはそれが可能な知的生命体も存在しうるのに

  地球では食べるためには屠らねばならず 渇きを癒す為には生まれたての

  仔牛から乳を奪わねばならないというなら それを礼拝の儀式としなさい

  

  インドの覚者

 食物には敬意を払いなさい

 生命は食物を通して入ってくる だから思考が沈黙するほどに食べ、

 飲みなさい 生命は水を通しても入ってくる 水は渇きを癒す

 水と共に動きなさい 水が自分の渇きに触れ 渇きが消えるのを

 沈黙し 見つめなさい 一杯の茶を飲むのに どうして無駄話ができよう

 暖かい生命が自分の中を流れている それに満たされ 敬意を払いなさい

 日本に茶道が存在するのはそのためだ お茶 全く平凡なもの

 日本人はそれを非常に神聖な地位にまで押し上げた
77 miyazakiさん 2023/02/23(木) 00:47:44
   レバノンの覚者

 あなたが獣を屠るとき 心のなかで言いなさい 「あなたを屠るその同じ力で

 私もいつか屠られ同じように食い尽くされる 私があなたを殺すことを許した

 法律(掟)が さらに強い者が私を殺すことを許す

 あなたの血も私の血も天上の樹を養う同じ樹液なのだ


 インドの覚者


 問いの内容が生死に関わるような物事のとき 人は答えを求めて

 その存在全体が飢餓に陥る 渇望し 存在全体が答えを受け取る準備ができる

 そして答えが与えられたとき 人はそれを噛みしめ それが血となり肉となり

 心臓の鼓動そのものとなる

 
78 miyazakiさん 2023/02/23(木) 20:57:15
               預言者より 

                 祈り

  人は悩みと需め(もとめ)のときに祈ります だがもし喜びの溢れるとき

  満ち足りた日々にも祈ることが出来たなら

  祈りとは ただ 生ける大気(エーテル)のなかにあなた自身が拡がっていくこと

  あなたの心の闇を空間へ流し出すのが慰めになるなら 心の夜明けをそこに

  溢れさせるのも喜びになる

  また あなたの魂があなたを祈らせようとしても あなたが泣くことしかできないとき

  あなたが笑えるようになるまで魂は あなたを祈らせ続けるでしょう

  
  あの見えざる神殿への参詣は恍惚(エクスタシー)と

  甘美な交わり(コミニュオン)以外のものであってはなりません

  なぜなら神殿に入ったとしても ただ求めるためだけなら

  何も得られず へりくだるだけのためなら何も高められはしません

  他人のための願い事をするにしても聞き入れられるわけでもないのです

    つづく





  



  
79 miyazakiさん 2023/02/25(土) 01:45:11

 神は言葉をお聞きになりません 神自身があなたの唇を通して語りたもうもので

 なければ  

 私には教えられません 海の祈り 山の祈り 森の祈りを

 しかし海 森 山から生まれてきたあなたは実は自分の心のなかに

 見つけるのです

 「神よ あなたは翼ある私たち自身 私たちの意思は私たちの中のあなたの意思

 私たちの願いは私たちの中のあなたの願い あなたのものであり 

 私たちのものである夜々を 私たちの中のあなたの衝動が あなたのものであり

 私たちのものである日々に転じて行きます

 あなたに願うことは何もありません 私たちの需めが生まれる前にもうご存知ですから

 私たちが需めているのはあなた あなたを頂ければ 全てを頂いているのです」と


 
80 miyazakiさん 2023/02/25(土) 20:39:13
                 ある禅師かたりて

                東洋と西洋 瞑想の違い

  西洋の瞑想は思考の類いにすぎない より崇高な物事についての思考が

  瞑想と呼ばれている 

  神について  キリストについて  愛について考えるとき

  それは瞑想と呼ばれる



  東洋においては 思考と瞑想は何の関わりもない

  神について考えようが 貨幣について考えようが それが要点ではない

  対象が何であろうと思考は瞑想の妨げとなる

  東洋では瞑想は無思考 正に混じりけの無い実存の状態を意味する

  

                   ●



81 miyazakiさん 2023/02/26(日) 14:11:48
                  
                  ある禅師訳して


                  泥中の蓮華(現代語訳)


 島津の殿様「如何なるか これ 久志良の土百姓(どんびゃくしょう)!?」


 無三禅師 「泥中の蓮華」


 島津の殿様 「帰依します」

  


 蓮は実に象徴的な花だ その花は泥から生まれる

 最も美しい花は泥から生まれる

 祈りは性欲から生まれ 魂は肉体から生まれる

 性欲、肉体は泥に当たるものだ そして神聖さは世俗から生じる

 表面的には不可能なことにように見える

 泥だけを見れば それが蓮を生み出せるとは信じがたいだろう

 蓮だけを見れば それが汚れた泥から生じたとは信じがたいだろう

 だが、それが事の真相だ

 最も低いものは最も高いものと繋がっている

 最も高いものは最も低いものに含まれ

 最も低いものは最も高いものに含まれている

 全ては繋がりあっている そして生とは梯子のようなものだ

 何ひとつとして否定されるべきではない

 これこそが仏陀の教えの土台となる

 たとえそれが汚れた泥であろうとも

 すべては蓮の花に変容されねばならない

 


82 miyazakiさん 2023/03/01(水) 22:10:23
                労働(大御宝)

 あなたが働くのは大地と大地の心と足並みをそろえるため

 怠け者は季節にとってはよそ者 彼は生命の歩みから外れていく

 生命の歩み それは 威厳に満ちて 

 誇り高い服従のうちに無窮を目指して進んでいく

 労働しているとき あなたは笛となり時のささやきを音楽に変えていく

 周りがひとつ声で歌っているのに誰が声も音も出ない葦でいられましょうか

 労働は呪い  苦役は不運   ひとはそう言う

 しかし私は言いましょう 労働するときあなたは大地の遥かな夢を担い

 それを果たしていきます 大地の夢が生まれたときあなたの分はもう

 定まっていたのです


 
 

 
83 miyazakiさん 2023/03/01(水) 22:23:33
 
 そして優しい心で種をまき 喜びに満ちて刈り入れること

 あなたの愛するひとがその実りを食べるかのように

 さらに それはあなたのつくる全てのものに自分自身の精神の息吹を吹き込むこと

 そして 天上の神々が まわりに立ち あなたを見ているのを知っていること

 
84 miyazakiさん 2023/03/04(土) 23:57:28
              あるインドの覚者かたりて

  私たちは究極なるものから生まれたもの

  神の海に揺らぐ波だ

  それ故 神の特性は何であれ、波の特性となる

  神が完全なら私たちも完全だ

  完全になろうとする考えそのものが馬鹿げている

  だがその完全性を私たちは丸ごと生きぬいてはいない

  あなたはこの世界を十全に生きる必要がある

  この世界を壮大なドラマとして捉えておくこと

  東洋では〈神の遊び〉と呼ばれる

  あなたはドラマのなかで帝王かもしれない 大富豪かもしれない

  だが慢心するのは間違いだ また貧乏であろうとも深刻にならないこと

  私たちは 皆 色々な役を演じている

  可能な限り、美しく演じなさい

  けれど全てがゲームであることを片時も忘れてはならない

  そして死の訪れとともに最終の幕が降ろされる

  それから役者全員が退場する 

  彼らは皆 絶対宇宙のエネルギーのなかへ消え去る



                    ●





  

  
85 miyazakiさん 2023/03/18(土) 08:47:40
     
               愛国NHK 教養講座

             真理について(国会中継の途中ですが)

 真理が十全な姿で その多層的な意味において語られるときは

 必ず対立し矛盾し合う言明が為されねばならないことになる

 マハヴィーラのサヤタヴァダ論とは 対立する観点のバランスを

 取ろうとする試みに他ならない

 最初の文章でどんな事が言われたにせよ 二番目の文章では その反対の

 言明が為されなければならない こうすることで、そうしなければ

 言い表されないままになってしまうその対極も中に含まれ熟慮されることになる
 
 対極を排除したままで置けば その真理は不完全なままでいなければならない

 ということは明晰で曖昧でなく見える真理は全て、本当は半面の真理ということだ


     つづく



 
86 miyazakiさん 2023/03/18(土) 09:04:31

 矛盾性は 真理に本来内在するものであり それが真理の美であり また

 真理の複雑さでもある だが真理の〈力〉は対極を中に含んでいるそのことの

 中にある

 面白いことに 偽りの物事は対極を包含し得ない

 偽りのものは真理の片一方でしか存在できないが片や真理は その中に

 自身の対極を呑み込んでいる

 偽りがあまり曖昧でないのは その為だ 偽りは明晰なものだ




 
87 miyazakiさん 2023/03/18(土) 19:19:55

     ある禅師 キリストをかたりて

 
  人々は非常時にしか変容しない

  だからキリストは世界は終末を迎えていると言わねばならなかった

  キリストは大衆のために非常時の雰囲気を作り出していたのだ

  彼の言葉を理解したものは変容した しかし大部分の人はそうではなかった

  2000年経ってキリストは間違えたのだろうと思う聖職者もいた

  世界は滅んでいないからだ 

  だがキリストは非常時を唱えなければならなかった

  人々が変容するのは その時だけだと知っていたのだ




  
88 miyazakiさん 2023/03/21(火) 22:51:24
                自由について(預言者より抜粋)


  私は見たことがあります 

  あなたがたが言う自由の前にあなたがたが ひれ伏しているのを

  まるで奴隷がその身を裂かれてもなお 暴君を称えてやまないように

  神殿の森 城塞の陰で 一番自由であるはずの者が その所謂自由を

  軛(くびき)か足枷(あしかせ)のように身に纏っているのを

  
  私の心は痛み 血を流します 

  なぜなら自由になれるのは 自由を求めるその心さえ鎧(よろい)だと感じ

  自由を究極の目標として語るのを止めるときだけ

  本当に自由になれるのは 日々の労苦 夜々の窮乏 悲歌が消えるときでなく

  むしろ生きているあなたがたがをそれらが取り巻いていても

  自由で縛られず またそれらを超えて起っているとき

  自由であろうとして払い落とそうとしているもの

  それはあなた方自身の一片ではありませんか

  
89 miyazakiさん 2023/03/21(火) 23:01:17

 暴君を廃絶したいというなら 先ず見てください

 あなた方の中に据えられてきた暴君の玉座が砕かれたか否かを

 なぜなら如何なる専制君主と言えども 自由な者 誇り高い者たちを

 どのようにして支配できましょうか その専制が彼ら自身の自由に

 その汚辱が彼ら自身の誇りに及んでいないならば


90 miyazakiさん 2023/03/25(土) 18:01:22
  
         ユダヤ神秘主義・ハシディズムより

        本当に生きたければ 死ぬ用意をすることだ


  全ては源泉に帰る 帰らなければならない

  生は源泉の忘却 死はその想起 生は源泉からの離脱 死は源泉への回帰

  死は醜いものではない 死は美しい しかし美しいのは全身全霊で生きた人だけ

  生きることを恐れなかった人 美しく生きた者 よく愛した人 よく踊った人

  よく戦った人 全存在を祝うに至った人だけだ

  生がどんなものであるにせよ 死はそれを曝けだす 死は見事に暴露する

  幸せに生きてきたなら死はそれを露にする

  今だけ 金だけ 自分だけ、とばかりに肉体的な慰めや喜びに生きていれば

  死は当然 非常に不快で嫌なものになる なぜなら肉体から去らねばならないのだから

  

91 miyazakiさん 2023/03/26(日) 01:20:30
           ハシディズムと神道の相似点

 極めて自己中心的な宗教がたくさんある 自分のことだけ考えて

 共同体のことなど少しも考えない どうしたら「私」は解放されるか

 自由になれるか 解脱に達するのか、、こうした宗教は自我を落とそうとするが

 落とそうとするその努力がかえって自我を強めてしまう

 ハシディズムは 自我を落とすなら共同体の中で人々と一緒に生きることが

 最良の方法だと言う 人々と関わり 人々の喜び、悲しみ 人々の生 人々の死と共に

 生きることだと 宗教的には、自我に自由はない 自我からの自由があるだけだと

 ハシディズムは共同の生を方便として用いる

 助け合って種をまく春の祭りがあって 夏 嵐との荒ぶる祭りがあって

 黄金色の豊穣 秋祭り  食べたり飲んだりするような細やかなことを神聖にする

 生のありきたりのものが神聖な恩寵で満たされる




 

 

 

 

 
92 miyazakiさん 2023/03/29(水) 19:19:49

            ある禅師かたりて

               狂信者について

   ○○の神を信じると声高に叫ぶことはできても

   その叫びは何ものも証明しない それが証明するものは

   ただひとつで あなたは神を疑っているということだ

   疑いだけが声を大きくする 自分の中に疑いを持つものしか

   狂信的にはなれない 共産主義もそうで狂信的な共産主義教徒は

   共産主義が正しいと心から信頼できない人だ

   狂信 それは攻撃的にならざるを得ない 他人に何かを証明するためでなく

   自分に対して自分の信仰が本物であると証明するためだ

   本当に宗教を知った人は少しも狂信的ではなくなる

   柔らかく とても敏感で繊細になる 攻撃的でなく慈悲深い人になる

   その上 知ったが故に、他人のことも極めてよくわかるようになる

   正反対の考えを持つ人のことでさえ理解し得る





                      ●






   
   

   
93 miyazakiさん 2023/04/15(土) 23:50:33

              市場(大御宝)

 大地の恵みを交換してこそ あなた方は満たされます

 交換は 愛と優しい正義によらなければ ある者を貪欲に誘い

 ある者を飢えに導くのです

 海と田畑の働き手が市場で 織屋 陶工と出逢うとき神々に祈りなさい

 秤と勘定書を清めてくださるように 値うちに相応しく秤ることができるように

 また歌い手 踊り子 笛吹が来たなら その才能を買いなさい

 彼らも果実と香料の集め人 持って来るものは夢でできていても

 それは魂の衣と糧なのです

 そして市場を去る前に確かめなさい 空(から)の手で帰る者はいないかと

 なぜなら一番小さい者の需要が満たされないうちは

 神々は心静かに風の上で眠れないからです




94 miyazakiさん 2023/04/19(水) 21:14:03
               

                   大御宝と道



 あなたがたのうちの《神なるもの》はあたかも大海のよう

 いつまでも汚れることがありません

 それはまた大気のよう 翼あるものを浮かび上がらせます

 それはまた あたかも太陽のよう

 もぐらの道を知らず 蛇の穴をさがそうともしない

 しかしあなたがたのうちには《神なるもの》だけが住んでいるのではありません

 うちにある多くのものは まだ人間そのもの そしてまた多くのものは

 まだ人間ではなく 輪郭のない小さな生きものとして霧のなかを歩いている

 まどろみながら 目覚めのときを求めて

 あなたがたは皆一緒に まるで行進のように《神なるもの》に向かって

 歩んで行きます

 あなたがたは道です そしてまた道行く者です







 

 
95 miyazakiさん 2023/04/29(土) 20:49:28

 サディズム等の倒錯はどこからやって来るのか?

 おそらくそれらはとてもとても深い(集合無意識)と呼ばれるところからだ

 子宮のなかで人間は何十億年もの生物の過程を約十カ月で通り抜ける

 胎児にはエラがあり我々が魚だった頃の名残であろうと言われている

 我々の普通の意識 合理化したり論理的だったりする意識はとても小さいものだ

 その後ろには フロイトの偉大な発見 無意識のマインドがあり

 それは普通の意識の九倍の大きさで我々の全ての本能を包含している

 身体の機能 うちなるメカニズム 感情やフィーリング ロジックを除いて

 人間の全てがある そしてそこは深い暗闇の次元 さらにその奥には集合無意識がある

 それは過去の全てを包含する かつて我々はサメ 狼

 蛇 一本の樹木だったことがあるのだ

 八千四百万回の生を繰り返すという東洋の考え方は意義深い

 数字は正確ではないかも知れないが あなたが人間になる前に八千四百万回の

 誕生があり その全ての誕生と経験が集合無意識の中にある

 それは殆ど原始からの全歴史になってしまう

 それはユングの功績だ 彼は集合無意識という概念を用い心理学の世界に紹介した

     つづく


 
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97 miyazakiさん 2023/04/30(日) 07:14:20
  

 何百万 何千万という生の集合無意識がある あらゆる種類の経験が蓄積されている


 仏教ではこれをアーラヤ ヴィジュニャーナ(阿頼耶識 あらやしき)と呼ぶ

 それは無限だ

 さてサディズムは一方的に相手に苦痛を与え流血させ快感を得るが

 苛めやSNSで精神的に相手を傷つけ死に至らしめても構わないというのも

 サディズムの発露ではないかと言われている


 例えばサメの狂乱索餌 集団が狂乱状態になりながら獲物を襲うとき

 多量の血が流れ 獲物が騒音をたてている(特に苦悶時)

 サメにとっては飢えからの解放 至福の瞬間であり苦悶や悲鳴はそれを彩るものかも知れない

 この記憶が集合無意識にある そして希に少数の人に浮上してくる 

 通路を持っている人 これは変種の通路だ 指が六本ある人が生まれたりするように

 例外 奇形だ 自分の快楽の為に人を傷つけるのは犯罪 そして治療の必要な犯罪である


98 miyazakiさん 2023/05/02(火) 18:04:04
           ある禅師かたりて  薔薇と蓮華

   対等性は類似性を必要としない 薔薇と蓮は同じように

   太陽の光を浴びる権利を持ち 雨を浴びる権利 風にそよぐ権利を持つ

   だが これらを同じところに植えなければならないというのはおかしい

   男と女は違うからこそ世界は豊かなのだ

   交響曲で ヴァイオリンとオーボエが常に同じ旋律を奏でなければならないとなったら

   音楽は死んでしまうに違いない




    

   
99 miyazakiさん 2023/05/03(水) 21:26:21

                賢明なる大司教

 ある鉱山採掘地域の小さなカソリックの教区に管理視察の目的で大司教が来た

 教会に集まった大勢の人々 そこに一人の思春期の少女がいて

 大司教は彼女に質問した 「結婚とは何かね?」 彼女は答えた

 「それは、そこに入っていく人たちが より明るく良い未来を自らに用意するために

  しばらくの間 耐えることを強いられる とても苦しい状態のことです」

  地域担当牧師は彼女に反論した

  「違う 違う それは煉獄の定義ではないか」

  すると大司教が言った

  「彼女の意見を尊重したまえ それは正しいかも知れないのだぞ

   私やあなたが結婚について何を知っているというのだ」





  

 
100 miyazakiさん 2023/05/03(水) 22:33:39
        ある禅師かたりて・ サディズムについておまけ

         臨済は杏山に言った 「この畜生め!」

   これは非難ではなく事実について言っている

   禅では人間の心は億千万年の動物の遺産でしかなく釈迦・仏陀・禅師・たちは

   そこを超えた




                     ●



  

  
101 miyazakiさん 2023/05/04(木) 21:07:09
            ハキーム・サナイ 宮廷詩人

  人とその合理性は その庭で最近熟した果実にすぎない

  神の本質について語ることは何であれ 

  あなたの深みから外れている

  盲者が自分の母の姿を描写するが如く











102 miyazakiさん 2023/05/04(木) 22:04:32

           埼玉の左官屋の爺さん語りて

 昭和三十年ごろのことさ どういうわけか小学校で苛められてな

 相手は一人なんだが年上で腕力もあって太刀打ちできなくて

 そんで来る日も来る日も苛められて もう辛くて悲しくて子供だったけど

 橋から飛び降りて死ぬことまで考えた

 追い詰められた俺は ある日とても早起きして 母ちゃんに風呂敷を頼んだ

 「ずいぶん今朝は早く学校にいくんだね 風呂敷?」 

 母ちゃんは俺の顔を見て何か悟ったらしく黙って風呂敷を出してくれた

 俺は仇の通学路に先回りして木の上に昇ってヤツが来るのを待った

 そしてヤツがやって来て下を通り抜ける瞬間 大きな石を入れた風呂敷を落とした

 頭すれすれにドスン!と 

 ヤツは無表情に俺を見上げて 俺と目と目があった 何秒間か無言で見つめあった

 それから何事もなかったかのように歩き出して 行ってしまった

 そんでそれを境に ヤツは二度と俺に手を出さなかった

 こんなジジイになっても 俺は卑怯だったのか そうでもないのかはわからねえ

 だが あれしかなかった あれしかなかったと今でも思ってる





 
103 miyazakiさん 2023/05/14(日) 19:16:52
         ある禅師かたりて 二種類の愛

 C・S・ルイスは愛を 必要の愛 贈る愛 この二つに分けた

 アブラハム・マズローも 欠乏の愛 存在の愛 に分けた

 その定義は意義深い 理解されなくてはならない

 

 必要の愛または欠乏の愛は 他人に依存する未熟な愛、と言うかそれは真の愛ではない

 子供は産まれ母親に依存する 母親への愛は欠乏の愛だ 母親なしでは生きられない

 母親を愛するのは母親が命の綱だからであり実際には愛はない

 子供はどんな女性でも愛する それが自分を守ってくれるなら 必要を満たしてくれるなら

 母親は子供が食べる食物のひとつだ 母乳ばかりではない 愛も それもまた必要物だ


さて 多くの人類が一生を通じて幼稚なまま 成長しない 年は取るものの

 マインドの上では成長しない その精神は幼稚で未熟だ 常に愛を必要としていて

 食べ物のように愛を渇望している


              つづく



 

 
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106 miyazakiさん 2023/05/15(月) 20:34:25


 必要とするより 愛し始める瞬間に人は成熟する 溢れだし分かち合う

 その強調するところは完全に異なる 最初その強調はどうやって獲得するかにある

 次にその強調は いかに与えるかにある いかにより良いものを 無条件に

 これがやがて人に訪れる成長、成熟だ 成熟した人だけが与えることができる

 成熟した人だけに 贈る愛 存在の愛がある

 若き特攻兵士の中には 一瞬にして成熟した人がいただろう

 「自分は十分愛された もういい 今から自分が愛する番だ 焼かれる祖国 同胞を前に

  自分はどうなってもいい 命を捨てても愛する番だ」

  

 そのとき愛は依存ではない 相手がいなくても愛に在ることが可能だ

 そのとき愛は関係性ではなく状態だ

 

 深い森のなかで評価する者も無く花が咲くとどうなる?

 薫りを知るものもなく 美しいと評価する者も無く 喜びを分かつ者も無いとしたら

 花は死ぬだろうか? 苦しむだろうか? 狼狽えるだろうか? 自殺するだろうか?

 いいや 花は咲き続ける ただ咲き続ける 何も変わらない 人がいようといまいと

 花は大気にその芳香を放ち続け 神に、全体なるものに その喜びを捧げ続ける

 

 
 
107 miyazakiさん 2023/05/16(火) 20:23:21
 二人の成熟した人間が愛に在るとき 生における偉大な矛盾のひとつが起こる

 最も美しい現象のひとつ

 彼らは共に在り、それでもなお 途方もなくひとりだ 

 彼らは正に共に在るので ほとんどひとつだ しかしそのひとつであることは

 彼らの個性を破壊しない 実のところ それは個性を高める 彼らはより個性的になる

 (これは日本人にとって何かを思い起こさせるだろう)

 自由とともに愛が流れるとき そこには美がある

 依存とともに愛が流れるとき そこには醜さがある

 心に留めておきなさい 自由は愛より価値がある だからこそインドでは

 究極が〈モクシャ)と呼ばれる それは自由を意味する

 もし愛が自由を破壊していれば それに価値はない

 




                     



 
108 miyazakiさん 2023/05/28(日) 01:04:20

               ムハンマドのお話

 ムハンマドが朝の祈りを捧げに 一人の若者と共にモスクへ向かった

 若者は初めてモスクで祈りを捧げるという経験をした

 その帰り道 夏の朝で人々はまだ眠りから覚めていなかった

 彼は言った「ムハンマド 未だに眠っているこの愚かな罪人たちを

 どう思われますか? 今は祈りを捧げる時間だというのに」

 ムハンマドは空に向かってこう言った

 「私は神に謝らなければならない もう一度モスクへ戻るが

 あなたには着いてこないで欲しい 連れてきたのは間違いだった 

 あなたも眠っていたほうがよかった 少なくともこのエゴを持つことはなかっただろう

 今 祈りを一回捧げただけで あなたは聖者になり これらの人々は罪人というになった

 あなたを連れて来てしまったために私自身の祈りは台無しになった

 どうか二度と来ないで欲しい 」

 ムハンマドはモスクに戻り祈った 神の許しを乞うために

 彼は泣いていた 涙が頬をつたっていた





                    ●




 

 
109 miyazakiさん 2023/06/03(土) 00:27:46
             愛国NHK 世界の逸話

               それもお前の力

  幼い子供が庭で遊んでいた 側には父親がいた その子は大きな石を抱えようと

  一生懸命やってみたが石が大きすぎてだめだった 汗だくのまま諦めた

  すると父親は「お前は力を出しきっていないよ」と子供に告げた

  「そんなことないよ ボクは一生懸命やった でも石が大きすぎて

   どうしてもだめなんだ」と子供が反論すると 

 「いいや お前は父さんに助けを求めなかったね 助けを求めることも

 お前の力なんだよ 父さんがここにいるのに助けも助言も求めなかった

 だからお前は自分の力を出しきってはいないんだ」






  

   
110 miyazakiさん 2023/06/03(土) 01:20:22
           ユダヤ神秘主義 ハシディズムより

 理解すべきことは 無上の喜びが舞い降りて来るのを待ち望んではいけないと言うことだ

 そんなことは決して起こらない

 無上の喜びとは あなたの実存に蓄積された小さな喜びに過ぎない

小さな喜びの総和が無上の喜びなのだ

一服のお茶を飲むことを楽しむ 食べ物を食べることを楽しむ

温かな湯に入ることを楽しむ 美しい朝と歩くことを楽しむ

祝福するのに他に何が要る? 夜空いっぱいにきらめく星たち 祈るのに 他に何が要る?

東の方角から昇ってくる太陽、、、 頭(こうべ)を垂れるのに他に何が要る?

無数の棘の間から顔を出し蕾を開かせる薔薇の花

か弱く壊れやすく それでいて風や雨や雷に立ち向かう薔薇の花

その勇気を見るがいい 信頼を理解するのに他に何が要る?

神に至るこうした隙間を見失ったとき 技法が必要になる

瞑想とか座禅とか呼ばれるものもそのひとつだ











  
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